2012年06月27日

アボカド

今年の冬から施術室に置いているこの木。

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これはアボカドです。
ふつうにジャスコなどに売っているアボカドを食べたあとの種を、庭にいくつか転がしておいたら芽が出たものの1つ。
芽が出て育っても、越冬できずに、いくつか枯れていきました。
2〜3年にわたるその学習を踏まえて、次こそは越冬させてみようと、冬がくる前に鉢に移して室内に入れてみました。

そしたらもちろん冬を越しましたし、どんどん成長しています。
下の方の葉っぱは小さくて、上の方の葉っぱはずいぶん大きいの、分かります?
写真のアングルでの遠近の違いではなくて、実際に2倍くらい葉の大きさが違うんです。
下の方の小さな葉が、屋外に植えていた頃に出たもの。
上の方の大きな葉が、室内に入れてから出てきたものです。
アボカド君は、暖かいのがどれだけ嬉しいんだか(笑)

いつか実がなるんでしょうか?
成長が楽しみです。
 
posted by 太田 at 17:58| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月25日

コズミック・ダイアリー2012

ヒューマンデザインの森さんから「コズミック・ダイアリー2012」という本を提供していただきました。

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マヤの叡智?マヤのカレンダー?
私はあまり詳しくないのですが、自然のリズム、宇宙のリズムに乗って生きるためのような本です。
ダイアリーというかスケジュール帳のような仕立てになっていて、
解説もついています。
自分のKINナンバーを知ることもできます。

この本は今年の7月25日までの分であり、あと1ヶ月足らずなのですが、
無料でお渡しできますので、興味ある方はお知らせください。
meguminomori@mac.com

取り置きしておきます。
残り3冊です。

「少し興味がある」という人の入門に良いのではないかと思います。
 



posted by 太田 at 13:37| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月23日

対応

「この人は厄介だ、と思ってしまうような人とトラブルになったとき、どうします?」
と、聞かれた。

誠意を持って対応します。
相手を責めないように、自分のことも必要以上に責めさせないように。
相手の土俵に引き込まれないように、こちらの土俵にも引き込まないように。


その場が収まるだけでなく、相手も同じ一人の人間、としみじみ分かる時が来ます。
それまでに1年以上かかることもあるのが厄介ですが。

もっとも、相手は、トラブルだという認識すらしてないことも多いようです。
ということは、自分も、別の誰かに「厄介な人とトラブってしまった」と思われているのに、気づいていないことも、あるかもしれません。

お互い様か。
posted by 太田 at 01:20| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月20日

世界観を変える

先日、とあるマンガを読んでいたら、「幻影の砂漠」というのが出てきて、そこでは、その人の過去に応じた幻影が出てくるのでした。
つまり、そこでは人によって見えるものが違う。
ある人に見えるものが、ほかの人には見えない。
ある人を脅かすものが、ほかの人には何ともない。

これは、何も「幻影の砂漠」に限らず、日常の世界で起きていることだと思いました。

マインドブロック解除で、その人その人の潜在意識のイメージを読み取っていきますが、
同じブロックでも、人によってイメージが違います。
それはその人の過去が違うから、過去によって形成されてきたものが違うからと言えるでしょう。

潜在意識が見ているイメージを挙げてみると・・・・

よくあるブロックその1「自分に自信が持てない」
ある人は、迷路をさまよっているイメージ。
ある人は、巨大な世界の中に小さな自分がいるイメージ。
ある人は、大きな鬼を見ている。
ある人は、ぬかるみに足を取られている。

よくあるブロックその2「人の目が気になる」
ある人は、周囲の人々が妖怪に見えている。
ある人は、跡をつけてくる人がいるような気がしている。
ある人は、人々の動きに自分の動きが合っていないと思っている。
ある人は、自分が変な所にいると思っている。

(いずれも潜在意識が抱いているイメージであり、自覚しているものではありません)

ブロック解除では、これらの世界観を置き換えていきます。
置き換える世界観は、その人の潜在意識が教えてくれます。
「ほんとうはこう見たらいい」という解決策を、潜在意識は知っているのです。

世界観が変わることで楽になっていきます。
妖怪はいなかった。守られた場所で遊んでいるのだった。
迷路をさまよっているのではなかった。目的地に向かっているのだった。
跡をつけてくる人はいなかった。にぎやかな場所に紛れて楽しんでいるのだった。
自分は変な所にいるのではなかった。人種のるつぼみたいな所にいて、みんなそれぞれに変なのだった。
大きな鬼は怖いものではなかった。自分を支えてくれる存在だった。
・・・・などなど。


マインドブロック解除はリピーターさんもたくさんいらっしゃるんですが、
最初は自分の嫌なところや、気になって仕方がなかったところを解除していくプロセスが続きます。
やがてそれが解除されていくと、気持ちがぐっと楽になったり、明るくなったりして、
そうすると周囲の評価も変わって、
大きな仕事を任されるようになってきたり。
そのことでまた、新たに乗り越えるべきものに出会っていくのですが、その過程がいわゆる「成長」というものなのでしょう。

自分のことが解消されていくと、今度は、周囲に目が向くようになってくるようです。
自分のことで精一杯だったときには見えなかったことが、いろいろと見えてきて。

もちろん、人の嫌な面がはっきり見えてきたりと、
望ましいものばかりが見えてくるとは限りません。
でも、それも解除して乗り越えようとする姿勢がでてきて、
「自分の調子がどんなに良くても謙虚でいたい」とか、
「人の汚い面を見ても嫌にならないようにしたい」とか、
「仲間と足並みを揃えるようにしたい」とか、
そういう、周囲との調和のためにブロック解除を使ったりします。
または、自分を表現する仕事に対して、より深く核心に迫れるようになって、
自分の能力をより大きく世界に生かすために、ブロック解除を使って自分の潜在意識からヒントを得たり。


人によっては、自分のブロックをそんなに簡単に解消していいものだろうか、
苦労して乗り越えなければいけないものではないだろうか、
と思うかもしれませんが、
ブロック解除は、自分の世界観を変える手段の1つであるだけのこと。
(変えるための心の準備ができているかどうか、というのはありますが)

それも、他人から「こんなふうに変えなさい」と押し付けられるものではなく、
自分の潜在意識が「こうしたらいいよ」と知っているとおりに変えるのです。


その解決策には私もなるほどと思うことがたびたびあり、
たとえば、先述した「人の汚い面を見たくないと思ってしまう」というブロックに対して、その方の潜在意識は、
「人の汚さ(と思える部分)も神秘さのうち」
という世界観を教えてくれました。
宇宙の神秘的な光の中に、さまざまな色を見せて輝き浮かんでいる数々の球体の光=人間、の映像でした。

またたとえば、「物を元の場所に戻し忘れる」という、うちでもよくあるブロックも出たことがありまして、それに対してその方の潜在意識は、物がブーメランのように元の場所に必ず戻ってくる、というイメージを見せてくれました。
私もそのイメージをぜひ拝借したいと思ったり。


ともかく、世界というのは、自分に見えているだけの形をしているのではなく、
人の数だけ見え方があって、
その違いはなかなかに面白いものです。


<お知らせ>
6月〜8月にかけて、マインドブロック解除のインストラクター養成講座を受講することにしました。
秋から、マインドブロック解除を教えることができるようになる見込みですので、ブロック解除の手法を学ぶことに興味を持たれているみなさん、もうしばらくお待ち下さいね。
posted by 太田 at 07:00| Comment(0) | マインドブロック解除 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月19日

子供向け料理本

4年生の息子はよく自分でお菓子を作ります。
工作のノリで作ってみたら、楽しいしおいしいし、家族も喜んでくれるので、次々作りたくなったようです。
最初はゼリーから始まり、そのうち、プリン、ムース,クッキー、ケーキ、タルト、と、これまでにいろんなものを作ってくれました。

彼はレシピさえ置いておけば自分で買い物にも行き、私が仕事をしている間に作ります。
その、一番の原動力となった本があります。
私が子供の頃から持っていた本で、私もずいぶんこの本のお菓子を作りました。
大事に今も持っていたのですが・・・なんと、今も同じ本が売られていることに気がつきました。

こどもがつくるたのしいお菓子


自分が使っていた頃から30年たっても同じ本が手に入るなんて、びっくりです!
初版が1979年になっています。
ロングセラーですね。


さらに、息子が友達に、「お前、何か料理作ったことある?」と聞いたら、
「俺、ときどき弁当作る」と返ってきたそうで、
息子はその日のうちに「明日ぼく弁当自分で作る」と言い出しました。
(遠足の予備日で、お弁当の日でした)
お姉ちゃんと弟とパパとおじいちゃんのも合わせて5人分のオムライス弁当を作りました。

ここで料理への興味を絶やしてはいけない、と思って、
料理の本も買ってみました。

こどもがつくるたのしいお料理



はじめてのキッチン―小学生からおとなまで。


さっそく、先週の日曜日は、お姉ちゃんと一緒にマカロニグラタンを作ってくれました。

7月にシャスタに行くので私は6日間留守にしますが、そのうち何日かは子供たちに夕食を作ってもらうのだ。
そのための布石です。
 
posted by 太田 at 11:16| Comment(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月13日

大人の遠足・鞍馬山

テリーさんイベントから派生して、昨日、大人の遠足・鞍馬山ツアーを開催しました。
・・・なぜ鞍馬山?
お絵描きワークショップのヤスノさんが「鞍馬に行ってみたい」と言われたのがきっかけであり、私ももう一度行きたいと思っていたのであり、そうしているうちに、鞍馬山に行きたい人が5人、集まったからです^^


そして・・・
前回はよく把握していなかったのですが、鞍馬山は、お寺とも神社とも言えないような、不思議なパワーを秘めた場所でした。
宇宙という言葉が出てきますし。
鞍馬山のパンフレットには、

「鞍馬山は、毎日を明るく正しく元気よく積極的に生きぬくための活力を、本尊である尊天からいただくための道場である」

とあります。
そして、

「尊天とは、『宇宙の大礼であり大光明、大活動体』であり、私たち人間をはじめ万物を生かし存在させてくださる宇宙生命、宇宙エネルギーであって、その働きは愛と光と力となって現れる。愛を月輪の精霊ー千手観世音菩薩、光を太陽の精霊ー毘沙門天王、力を大地の霊王ー護法魔王尊のお姿であらわし、この三身を一体として「尊天」と称するのである。『月のように美しく、太陽のように暖かく、大地のように力強く』と祈り『すべては尊天にてまします』とお唱えするのである。」

護法魔王=サナトクマラ、らしいです。

お寺とも神社ともいえない、というのは、

「鞍馬山の信仰は、尊天を信じ、ひとりひとりが尊天の世界に近づき、ついには尊天と合一するために、自分の霊性にめざめ自分に与えられた生命を輝かせながら、明るく正しく力強く生きてゆくことにある」

「宗派にも人種にも国境にもこだわることなく、ひとりひとりの真のめざめと、共に生かされている万物の調和を祈るのである」

「宗派にこだわらぬ鞍馬山だから寺の教えを押しつけはしない。坐禅・念仏・唱題・祝詞・ヨガ・・・各自の機根に応じ、それぞれの信ずる方法で自由に、尊天の霊気を受け、一人でも多くの人が真実にめざめ力強く生きてくださればそれでよい」

と明記されているんです。
・・・こういうの、いいな。


朝9時にめぐみの森を出発して、車でのんびり移動し、午後1時半ごろに鞍馬に着きました。
平日なので、駐車場もガラ空きです。

さて、仁王門。
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提灯には天狗の紋。
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ケーブルカーで一気に九十九折の坂を登ったあと、石段を少し登って・・・
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本殿です!
石で作られた六角形と三角形の紋章がなんとも、エネルギーが降りてきそう。そこに立って、写真撮影です。
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ぴかぴか(新しい)この本殿の下に、千手観音と毘沙門天と護法魔王の像が祀られた、廟がありました。金や石の繊細な装飾で仕切られた空間の迷路状の通路の奥にあります。
ヒューマンデザインの森さんがいて、いろいろご存知だったから、案内してもらえた場所です。
そこは神秘的すぎて、写真はもちろん撮ってませんし、あまり詳しく書く気にもなれないほど。
ただただ、そのエネルギーに魅了されました。


本殿から、奥の院へ。
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杉の根道。
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龍1。
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由岐神社の参道。
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魔王の碑。
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龍2。
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この日は人が少なくて、本殿より奥のエリアは、ほとんど貸し切り状態でした。
いろいろ不思議なものが本当にいっぱいで、堪能しました。
もしかしたらもっとすごいものが山のどこかに隠されているのかもしれないね、なんて、話をしていました。


しっとりとした緑の心地よい季節でした。
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お天気は曇、少し雨がぱらつくときもありましたが、大きな木々に覆われた鞍馬山の道は、屋根があるようなもの。むしろ涼しくて疲れず、とても快適でした。

1時過ぎから5時間ほど滞在しましたが、薄曇りの光が、昼なのに夕方のようだったり、夕方なのに昼のようだったりして、まるで時間がずっと止まっていたみたいでした。
旅に出ると時間の感覚が変わります。
今回は誰も、何時までに帰らなければいけないというのはありませんでしたし、
食事も含めて、どの場所もじっくり楽しんで、
時間を一切気にしない、ずっと「今」があり続けるだけの1日でした。

いつかはみんなで泊まりがけで、もっと遠くにでも、日本を出てハワイにでも♪
そしたらこのように時間の枠がない日々が、何日も続きます。


お土産に買ってきたのはコレ、
「源義経公の降魔必勝の小太刀」です^^
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息子たちが今、戦いゴッコに夢中だから・・・というのもありますが、柄に彫られた3つの「梵字」に惹かれて。
この3つの字がそれぞれ、千手観音・毘沙門天・護法魔王を表すのだそうです。

息子たちには「これはみんなを守ってくれるものだから、これで遊ばないようにね」と言いつつ、ひとり部屋の中で小太刀を振り回してみた、のはヒミツです。
親切なお寺の人に教えていただいたとおり、ちゃんと、神棚に置きました。
posted by 太田 at 15:37| Comment(2) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月07日

ベリー

余談ですが先日整体に行ったら、ものすごく元気になっちゃいました。
元気すぎて、毎日ジョギングするくらいじゃないと、エネルギーが余って逆に調子悪くなりそう。問題は、運動する時間をいつ取るか、ということなのです・・・

大学院生だったとき、夜9時頃に後輩たちとジョギングして、引き続き翌日のゼミのために夜遅くまで実験データとにらめっこしてた日を思い出します。
体がほどよく疲れ、夜中になるとアタマも疲れてきて雑念が消え、丑三つ時になってめちゃくちゃいいアイディアが閃いたときの興奮と感動。

今は研究はしていないけれど、この頃の体調の良さから、身体の記憶を通じてあの日々の感覚が甦るようで、とても嬉しいのでした。



…さて本題です。
去年まで、うちの庭には2畳分ほどのイチゴ畑があって、5月の終わり頃になるとイチゴが毎日1パック採れたのですが、両親宅の増築により、イチゴ畑はなくなってしまいました。

イチゴ以外にもいろんな野菜を植えてきましたが、イチゴほど満足にたくさん収穫できたものはありません。
だからイチゴ畑がなくなるのは寂しかった。

変わりに・・・と意図したわけではなかったのですが、前から目をつけていたジューンベリーを、4月ごろに植えました。

白い花がたくさん咲いた状態で送られてきた、2mほどの、株立ジューンベリー。
そして今、実が真っ赤に熟してきています。

毎日このくらい採れます。
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この季節のあたたかな日差しのもとベリーを摘むのは、幸せなひとときです。

イチゴの代わりにジューンベリーが、たくさん収穫できるようになって。
これはタルトにしたら綺麗にできそう。
うちのパティシエである真ん中の息子が、きっと作ってくれるでしょう。

さらに夏には4本のブルーベリーがたくさん実をつけます。
今はこんな感じです。
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どうもうちは、ベリー類が合ってるようです。
ジューンベリーと同じ時に、梅酒用の梅も植えてみたんだけど、いつか実がなるのだろうか?
 
posted by 太田 at 01:03| Comment(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月24日

戦いとは己との真剣勝負

先日、アリオン・メッセージという、1996年に発行された本を読んでいました。「アリオン」という名前は、Angel of Regional Intermediate Organization National の頭文字だそうで洋風なんですが、日本人によって90年あたりからチャネルされた、日本人向けの内容で、不思議で興味深い本でした。

日本人の書いた本は、とにかく読みやすいのが嬉しいです。

始めの章では、古代(スサノオとかアマテラスとか)の時代に日本にかけられた封印の話があります。この封印はずっと日本を覆ってきましたが、今、解かれゆく時なんだそうです。
そんなこともあるかもな、と、いろいろ想像しながら読みました。封印によって日本人が本当の力を発揮できていないとしたら・・・?

あとは広範囲にわたってメッセージが記載されています。


知識の偏重に対しては、

「『身体』を『頭』の奴隷にしないこと」

「知識は両刃の剣だ。使いこなせない知識は害になる。使いこなせた時に知識はその人特有の「知恵」となり、その人を助けるだろう。知識は多ければいいというものでは無い。それを使いこなすだけの勇気と努力と根気と、それを取り入れるときの直感力が必要だ」



1人1人が主権を持つことに関しても、

「ある主君の下への参加ではなく、一人一人が主君となって欲しい。そうして、これ以上の「悪業」を増やさないようにして貰いたい」

等の記載があります。


特に印象に残ったのが「戦い」に関する記述。

「戦いも勝負ごとも、集約すれば『己との真剣勝負・己との戦い』」

「つまり、自分の人生の中で見極めたいもの、探したいもの、知りたいもの、それらを叶えるための『人生』そのものが、私の言う『戦い』なのだ」

「不合理な攻撃を受け、自らの(時には他者の)可能性を守らねばならない状況に陥ったなら、戦いなさい。
ここで忘れてはならないことは、戦うと決めたときから、
戦いは勝つためのものになるのであって、
錦の御旗(自己正当化のための美しい理由)のためではなくなるということだ。
戦う以上は、勝つまで戦いなさい。
たとえ、命を落としても逃げないで戦い続けること。
戦いで命を落とすのは負けることでは無い」

「最大の防御は攻撃にある。
しかして、単純に相手を打ちのめしたりすることを攻撃と思ってもらっては困る。
自らが能動的に、快く動く環境が必要だ。
自らが発することだ。
愛するとは、そういうことだ。

相手を愛するが故に攻撃しなければならない、しかも心から。
あなたは、あなたの構築した世界で命を引き換えに、これを学ばねばならない。

真の愛とは?
真の戦いとは?」



私自身は争いごとは嫌だと思ってきたんですが、心のどこかに、燃え立つような戦士の側面があるのも事実。それは外にではなく、自分に対して向けるべきものなのですね。
また、「戦いで命を落とすのは負けることではない」
これは、過去生で戦いで命を落とした多くの人がいると思いますが(ブロック解除をしているとよく出てくるから)、とても救われる言葉です。


そして私自身が仕事=魂の決めた事、を果たしていく上でとても心に響いたこと。

「響き合う心と心が作り出す磁場には、精神的・肉体的な治癒効果があるのだよ」

時々、「芸術的な癒し」と言える時間があるとは思ってたんですが、私の感じていたそれは、施し手・受け手の両者の魂が深い部分で静かに共鳴する様子の美、といいますか、そのようなものであると再認識したのでした。
そういう時間は本当に、「この瞬間だけのために生まれてきたとしても価値がある」と思えたりします。


一度読んだらブックオフに持って行く本も多い中、この本は、少し前に発行された本にもかかわらず、何度も読み返す本になりそうです。
posted by 太田 at 13:52| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月15日

魂の羅針盤

時代はかつてないほど急速に移り変わっていて、それに対応するのに、ついていくのが難しくなるときが出てきます。
今までに経験したことがないほど、全面的に何かを変えなければいけないという状況です。

そういう状況であることに気づくのは「何をしてもうまくいかない」ことばかり続くときで、やったことがある方法を試しても、知ってることを試しても、どれもうまくいかず、根こそぎ変わるくらいのことをしないと立ち行かなくなるときです。

私は去年の秋から半年くらい、そういう、突破口の見えない状況が続きました。
似たような状況の人とメールを交わしながら、時がたつのを待ち、ようやく一番しんどい場所を抜けてリニューアルされ始めた感が、お互いに出てきました。
今日はその体感について描いてみようと思います。
ぜんぶ、私の主観だということをおことわりしておきます。用語も、あまり深く考えずに選んでいます。


自分の選択で生きていくためには、自分の羅針盤とモーターが必要です。

羅針盤は、何をしたいか、どこへ行きたいかなどを決めます。
それも、魂の羅針盤と、現世に対応するための羅針盤とがあります。

モーターは、羅針盤の指した方向に進むための動力となるものです。
エネルギーを供給してくる部分(電池につなぐ導線)と、エネルギーを自分の中で回転させる部分(モーターの回る部分)があります。

図解(?)すると
 魂の羅針盤
 現世に対応するための羅針盤
 モーターの回転部分
 モーターのエネルギー供給部分
(下から、第1チャクラ〜第7チャクラ的な位置づけかも)


何をしたいのかは分かるんだけど元気が出ないなら、モーター部分を何とかすればいい。体をメンテナンスするのもいいし、エネルギーを得られるところに出かけたり、エネルギーが得られることをすればいい。

ところが、何をしたいのか分からない、どうしていいのか分からない、ということが、このごろは多々あるのだと思います。
今までは分かっていたはずなのに見失ってしまった、とか。
今まで意義を感じていたことが、空っぽに思えてきてしまった、とか。
それは、羅針盤がうまく働かなくなったから。または古くなってしまったから。時代の流れが羅針盤のリニューアルを迫っているんです。


これまでは、羅針盤のほうは、リニューアルする必要はあまりなかったんです。
魂の羅針盤は無視しても何とかなりましたし、現世に対応する羅針盤は、年を取り経験を積むごとに磨かれていくままでよかった。

しかし、もう、魂の羅針盤が黙っていません。
いくら現世でうまくやっているように見えても、魂の方向性とちがっていたらストップがかかり、魂の羅針盤と連動するように現世羅針盤がリニューアルを迫られるし、
現世的にぜんぜんうまくいっていないと思っていても、魂の羅針盤と連動させるという条件のもと、現世の羅針盤を磨かなければいけない。

羅針盤のほうが機能不全だと、いくらモーターにパワーがあっても、動けないので、動けないでいるうちに、2つ前の記事で書いたように、エネルギーが停滞して、体も心も元気がどんどんなくなってしまいます。
エネルギーが低下してるというのに、どうしていいか分からない。
だから動けない。そしてエネルギーはますます低下。そういう下降スパイラルです。

そんなときに、上昇しようとして、何かキラキラしてるように見えることに接してエネルギーをチャージしようとしても、あまりうまくいかなくて、よけいに疲れることがあります。
魂の羅針盤に沿っていないということです。

そういうときは、エネルギーをプラスするのではなく、
羅針盤リニューアルのため、休養(ニュートラル)モードに入ったり、
現世の羅針盤に従っているうちにくっつけた余分な思考を外してニュートラルを深めることに専念するほうがうまくいくようです。

その「余分な」ものとは、
1.自分が素敵だと思うものとか憧れるものとか、好きなもの、逆に嫌いなもの、それらの価値観。自分がこうでなければならないとか、人はこうでなければならないとかの判断も。
2.自分はこういうことをするのは嫌だとか、人がこういうふうなのは嫌だという抵抗感、負けてはいられないとかのプライドや対抗意識、自分にはできないなどの劣等感。
3.自分だけこんな目に合ってない?とか、もっと〜〜だったらよかったのに、という被害者意識。
4.あらゆる不安、恐怖。

・・・そう、多岐にわたるのです。
そんなに簡単に外せないよ!とか、捨てなくないよ!と思うものもあるけれど、それすら「抵抗」となってしまいます。

また、完全に捨てたかどうかを気にするより、捨てるべきものを1つ1つ自覚したということが、意味あることです。

そして、自分が持っていた夢や願いや望みすら、なかったことにします。
今の時点で叶っていないことは、今まで叶わなくても死ぬほどのことはなかったから、叶わなかった(叶えなかった)のです。
願いを捨てても死ぬことはありません。

それらは、一度まっさらにした後から自然に現実化することもありますが、現実化を期待して捨てても現実化しないというジレンマ。
未練タラタラなのもやめて、とにかくあきらめます。
執着を捨てるというか。

ただ、本当にこれらを捨てる作業が必要なのは、それをしない限り何をしても全然うまくいかなくなる、という時です。
だからもし今がうまくいっていると感じるならば、その流れに乗るべきであって、捨てまくる時期ではないのでしょう。

これらの余分なものは、生まれてから「学習」したことであり、学習したことを外していくことでしか、魂の羅針盤が指すものはなかなか見えてこなかったりします。
(不安や恐怖も学習の結果として出てくるものと言えます。過去生での学習のこともありますけど)
自ら進んで学習したわけではないにしろ、周囲に対応または反応していくうちに、考え方や価値観や、対処法、それに伴う感情が、刻まれていくからですね。

こうありたいと思ったこともナシにして、
自分はこうであるという定義もナシにして、
何も決めない。白紙にする。
自分に対しても、他者に対しても。

そうして見えてきた魂の羅針盤が指すものは、今の社会の価値観でキラキラしているものではないかもしれません。
ものすごく地味で、何とも評価されないものかもしれません。
そうだと分かったら、がっかりしたり、抵抗したりするかもしれません。
でも、いいんです。
この社会でどう位置づけられようと、自分がやり抜くべきテーマを、この生涯のうちにやり抜くことは、全宇宙の中では、ひときわ輝くことです。

このプロセスに孤独や無力感を感じることも多いかもしれないけれど、世界の、または宇宙のどこかに、同じテーマを同じように生きている人が、何人もいるかもしれません。
時や場所が遠く離れていても、同じことをしている人たちがいて、魂レベルではつねに、共にいるのかもしれません。

(ブロック解除中に見るイメージに、地球でないどこかの惑星のシーンが出てくることがあるので、このごろ、真剣に宇宙について想像をめぐらしてます^^)


時間がいくらかかかるかもしれませんが、現世の羅針盤がリニューアルされ始めると、モーターも少しずつ回り出します。
どこに行けばいいか、何をしたいのかもおぼろげながら見えてきますし、一番大変だったときよりは軽くなって、動けるような感覚も出てきます。

大変な時期には、世界の回転数に自分の回転数が負けてるような、つまり、少しのことにやたら時間がかかったり、1日が何もしないうちに終わってしまうような感じがあります。
しかし、自分のモーターが回り始めると、自然に世界の回転数に自分の回転数が合ってきて、または上回るようになってきて、同じように行動しているつもりでも、時間が余るようになったりします。

そうなると余裕ができるので、物事が簡単になり始めます。

だけど、楽になるために何かをする、のではないんですね。この時代に求められていることは。
「ワクワク」に従うとよい、とよく言われるけれど、古い現世羅針盤のワクワクに従ってもうまくいかなくて、魂の羅針盤のワクワクに従わなければいけない。それがつまり、宇宙に完全にゆだねるというのと同じことだったりします。そのために、天地がひっくり返りそうに感じるほど自分を変えなければいけないことがあります。


リニューアルの兆しを感じても、ニュートラルな状態を保ち続ける、いや、さらにいろんなことを外して、より純度の高いニュートラルにしていく。
増築改築じゃなくて、一度ぜんぶ解体して、もういちど建てる。
まるきり新しいものを生み出すために、今までのものを崩壊させる。
2012年は、徹底したその作業が、宇宙のリズムから求められているような気がしてなりません。
 
posted by 太田 at 23:39| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月13日

どーでもいいことですが

今日、1ヶ月ぶりにゼルダの伝説・時のオカリナをやったんだけど(Wiiです)、いつもは怖くてガチガチになってプレイするダンジョン
、今日は妙に余裕かましてプレイしました。
そういえば、ダンジョンに怖さを感じなかったらもっと楽しめるのになと思ってブロック解除したっけ。
ひどかったスキー斜面恐怖症に続き、恐怖は私の場合あっさり解除されやすいようですが、他の方々はどうなのでしょう。
posted by 太田 at 23:08| Comment(0) | マインドブロック解除 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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