2011年07月22日

今日のエール

何かを成すために、努力は必要です。
でも、努力というのはただ純粋に行動の積み重ねであるだけです。
そこに、〜〜せねばという強迫観念や、
どうしよう?という焦りや緊張は、
過剰には、いらないものです。

子供が何かに夢中になるときは、ちょっとドキドキする時もあるけれど、うまくいかなくて悔しい時もあるけれど、それでも構わずに、ただ、やっています。

そういうふうに取り組めることを見つけたあなたなら、いずれ、気がつけば、必ず目的地に到達しているはずです。
posted by 太田 at 22:46| Comment(0) | 心理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月12日

反復の技法

前回の更新からいつの間にか2週間以上。
相変わらずファイナルファンタジーをやり込んでいた、というのもありますが、一方で知人に教えてもらった数々の本に読みふけり、その世界に浸り、いつもと同じ生活をしているにもかかわらずまるで瞑想状態な日々でした。

それらの本の中から1冊紹介します。

呪術師の飛翔―未知への旅立ち


「呪術師」と聞くとなんだか黒魔術師みたいですが、いやいや、いわゆる「シャーマン」です。

この本のポイントの1つは、「反復の技法」という、過去から自由になる方法が書かれていることです。
思い出したくない、イヤな過去、悲しい過去、腹立たしい過去、恥ずかしい過去、それらのものは過ぎたことであるにも関わらず、今なおそれらの出来事に奪われ続けているエネルギーを取り戻し、それとともに、不必要なエネルギーを解放するというものです。
方法自体はいたってシンプルです。
ほかにも手放しの技法はいろいろありますが、ほかの技法がゴミをただゴミ箱にそのままポイッと捨てるものだとすれば、反復の技法は、きちんと分別したり分解したりして、出来事への理解とともに、もつれたものを解きほぐす、という感じがします。
過去に縛られて身動きできない、と感じることがあるならば、一度試してみられるとよいと思います。

ポイントのもう1つは、これが、女性による、自己の内側への冒険の記録であることです。
歴史上、女性は男性に従属する立場に置かれることが続いてきました。その痕跡はずいぶんと根深いものです。
今でも、家庭内で、夫や父親などにエネルギーを奪われて萎縮している女性の話はひんぱんに耳にします。または逆に、男性依存になっている女性もいます。
そのような状況にある女性が、反復の技法を通してエネルギーを取り戻し、自由になっていく。
著者であり主人公であるタイシャのストーリーを通して、その方法や可能性が語られていきます。

かなり深いレベルのことを書いてあるので、特に男女間の問題に取り組むために読むとしたら、ある程度の覚悟が必要かもです。
過去からの自由を得る目的なら、それほど覚悟は必要ないです。

若返りや美容などについても書かれていますぴかぴか(新しい)
 
posted by 太田 at 18:16| Comment(0) | 心理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月24日

大きなトラウマ→大きなバネ

子供たちを預けている保育園と学童は、キリスト教系の園です。ときどき、その教会の牧師である先生の話を聞く会が持たれます。(80歳近い先生です)
その先生は、自分の心をつねにまっさらに保つことをいつも心がけておられ、それは、キリストの声を聞くためだと言われます。そしてほんとうに、聖書の話だけでない、先生やその周りの人々に起きた奇跡のようなオリジナルの話を聞くことができるので、私は、いつも興味深く話を聞いています。

言葉を変えれば、その先生は、チャネリングができるような人ですね。

昨日は、その先生が尊敬する先生のお話でした。先生の先生だから、これまた、なかなかすごい人です。
先生の先生は、あるとき、牧師としての自分の在り方に悩み、「聖書に出てくるペテロは、どうしてあんなに偉大な宣教師になれたのだろう」と、心底知りたいと思ったのだそうです。

ペテロは、キリストの12弟子の1人で、キリストに、「あなたは私が十字架にかけられる前、ニワトリが鳴くまでにに3度私のことをを知らないと言うだろう」と言われ、「そんなことはありませんよ!」と言うのですが、実際、キリストが十字架にかけられようというときになると「お前もあいつの仲間だっただろう」と3回問われて3回ともキリストのことを「知らない」と言い、その直後にニワトリが鳴いてキリストの言葉を思い出し、激しく自分の行いを悔いた、という、有名な話があります。
その後は、病人に触れて祈るだけで病気が治ったりするような奇跡を行いながら、キリストの教えを伝える者となりました。ペテロが話をすれば何千人もの人が集まったし、ペテロの人望はすさまじく、触れて祈ってくれという人が後をたたないので、ペテロの通る道筋にペテロに触れたい人がずらりと並び、ペテロがその道を通ってその影が人にかかっただけで奇跡が起きた、という逸話もあります。

で、先生の先生は、ペテロにどうしてそんなことができたのかと考えているうちに、ペテロの声を聞いたのだそうです。
いわく、
「私は3回もキリストを裏切ったのに、その罪を許されて、キリストの教えを広める役目を与えられた。その許しに報いるべく、私は、できる限りの大きな働きができるように願っている。私は、毎朝イスラエル全土でニワトリが鳴くたびに、私の大きな罪を思い出させられる。とのたびに毎朝、それを許されたのだから大きな働きをしようと心を新たにさせられる。その繰り返しの結果、私は私の願いを実現する力を得て、聖書に書いてあるような行いができたのだ」

ペテロのことを、聖書に書かれている物語上の人物として私たちと切り離して見るのはたやすいですが、お友達だと思って見るとどうでしょう。実際、聖書に「ペテロは3度キリストを知らないと言った」と書かれてしまっているのですから、それから2000年間、聖書を読む人からは「3度キリストを知らないと言ったペテロ」と印象づけられることになるわけです。
これはすごいトラウマだと思いませんか?その後どんなに良い行いをしても、「お前はキリストを知らないと言ったくせに」と言う人はたくさんいるはずです。そのたびに胸がチクチクする。世界規模で2千年もの間、自分の行動がさらされてるわけですからね。

こちらの世界では、そんなふうに、悪いことを悪いことだと断罪する人がまだまだたくさんいますが、あちらの世界では、どんな悪いことをしたとしてもそれは問題ではなく、そういうことを経て、いかにその人物がより大きな愛を発振する人間になるのかどうか、というところだけが問われているのかもしれません。

どんな人でも「どうしてああいうことをしてしまったんだろう」とか「どうしてあんな不幸が起きてしまったのだろう」という出来事を持っていると思います。
でも、そのトラウマはトラウマのままでなくて、見方を変えると、これからの夢実現のための大きなバネにできるのかもしれません。
トラウマを思い出して嫌な感情を思い出すたびに、これからの「ちがう私」に切り替えるトリガーが引けるとしたら、それは、モチベーションをキープするには最高の材料じゃないかと思います。

先生の話は、「大きな願いを持つと、大きな結果となって返ってくるんですね」と結ばれていたのでした。


ところでマンガ「聖☆おにいさん」では、ペテロのこの3度の「知らない」→ニワトリが鳴く、というものもギャグのネタになっています・・・あらゆる逸話がネタとして笑い飛ばされています。
あながち、あちらの世界ではそうやって、地球人が硬直してしまうようなネタをギャグとして笑い飛ばしているというのはあるんじゃないかという気がします。
地球上の私たちは、シリアスすぎるんですって。
 
posted by 太田 at 10:29| Comment(2) | 心理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月13日

生まれたての姿

自分を好きになれない人ってけっこういると思うのです。
自分を好きでいないと、本当の意味での自信も生まれてこないし、そもそも、自分を否定している状態は、エネルギー的に決して良い状態ではない。
もう、それらのことも十分に分かっているのだけど、でも、やっぱり自分を好きになれないことも、多々あると思います。

ある夜中に目覚めたときに、ふとそんなことを考え、その原因のひとつに、自己イメージの悪さがあるのだろうなと思いました。

悪い自己イメージを、好きになろうとしても、好きになれないです。無理があります。

でも、どんな人でも、魂そのものの姿はとても美しいはずだし、自己イメージが悪いとしたら、そのイメージが「間違ってる」というか、見当違いのものを自分だと思っているのかもしれません。

だけど、生まれたばかり(数日以内とか、1ヶ月以内とか)のときは、その人の本当の姿がにじみ出ているのではないかと。
新生児の頃の自分の写真をお持ちなら、眺めてみるとおもしろいと思います。

そこからですが、これは私の場合ですが、地球上の、周囲の世界に触れていくにつれて、世界は「怖い」とか「嫌な」ものだと、感じてしまったのだと思うのです。もう、それは生後2〜3ヶ月にはすでに。
それは私の周囲にいた人たちが嫌だったとか、そういうことではなく、世界の波動(?)そのものが怖かったというようなものです。

それで私の場合は、生後2ヶ月ごろから急速にぷくぷくと脂肪をつけ始めました。脂肪には、精神的意味には「自分を守る」という側面があると言われていますが、まさにそれで。

それから30歳を過ぎるまで、ずっと世界への防御を続けていたわけですから、もはや、生まれたばかりの頃のような「本質の」私の姿は、分厚い防御の鎧を次々と幾重にも取ってつけたものの中にはるか埋もれてしまって、自分にも見えなくなってしまいました。

そのように、防御装備で固められた不自然で不格好な姿なんか、そりゃ、好きになれるわけがありません。

でも、自分の本質、本来の姿を思い出すことができれば、それは、誰にとっても愛すべき姿でしかありえないと思います。

赤ちゃんの頃の写真は、自分の本質を思い出すことをきっと助けてくれます。

少なくとも、そのふと目覚めた夜中のうちに、私の本当の姿ってきっとこうだ、というイメージが思い当たり、そのイメージはとても好きになれましたから、ああ、自分を愛するってこういうことなのだな、と、平和に解決して、再び朝まで眠りにつきました。

思えば、自分のことが嫌いな赤ちゃんなんていないだろうし。

社会がもっと成熟して、自分とどれほど違う人間とでも仲良く共存できるようになったら、赤ちゃんは誰にも遠慮することなくそのまま大きくなれるはず。

その前に、最近生まれた子供たちの方から、社会に適応させるための大人からのコントロールを、何としても受け入れないことを始めるかもしれませんね。
posted by 太田 at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 心理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月31日

情報の選別

今は、ほとんどどのような情報でも手に入る時代です。
しかし、多くの人は、「より多くの人が正しいと思っている情報が一番良い」という判断基準で情報を取捨選択しているように思います。

本当にその基準で情報を選んでよいのでしょうか。

何かの分野でうまくいっている人の信じている情報は、一般的に信じられている情報と全く異なっていたりします。
うまくいっている人は、一般的な情報には見向きもせず、自分にとって確かな体感と手応えのある情報だけを信じていたりします。

そこで、うまくいっている人が、うまくいっていない人を助けようと思って、自分の持っている情報を提供しようとしたとします。

このような場合に、うまくいっていない人は、うまくいっている人の情報を拒む傾向があります。
「自分にはできないから」という理由だったり、「自分には当てはまらないから」という理由だったり、「自分はその情報を受け取るだけの価値がないから」という理由だったりします。

そして、依然としてうまくいかないままです。
なのに「うまくいっている人っていいな」と羨んでいたりします。

今の自分ではなく、なりたい自分にふさわしい情報を、自分のものとして採用する。
体力もお金もいらない作業なんですから、いつだってできます。
そうして自分の思考の枠組みを変えると、現実世界も変わってくることが多々あるのです。
posted by 太田 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 心理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月24日

迷惑かけずにいられるか?

「人に迷惑をかけないようにしなくちゃ」というのが金沢に来てからよく聞くセリフのような気がするのは、地域性なのか何なのか。

「迷惑をかける」って、どんな場合でしょう。
迷惑に思うのって、どんなとき?

突き詰めると、要するに、不快 = 迷惑、ではないかと。

では、人に不快な思いをさせないようにしよう、と、心がければいいのでしょうか。

しかし。
生活が便利になった現在、人々が快適だと思うゾーンは一昔前よりずいぶん狭くなっていませんか?
めちゃくちゃ狭い快適ゾーンにストライクが入ることは稀なので、ちょっとしたことで何でも不快に感じる人の多いこと、多いこと。

人に不快感を与えないようにしよう、と思ったらさあ大変。
不快に思われないように、女性は美しく、男性はかっこよくなければなりません。モデルのような体型が無難ですね。服も持ち物もセンスよく。
そうでなければ、人の視界に入ってはいけませんよ。不快感を与えてしまいますからね。

整形でもしてここまで頑張ってみたとして
「私、あんたみたいに綺麗にしてる奴を見るとイライラすんのよね」
と言われたら、おしまいです。

はあー。
つまり、人に迷惑をかけないことなんて、不可能。

どうせみんなの迷惑に絶対ならないなんてムリなんだから、最初から、ありのままの自分で、自然に振る舞えばいい。

と、私は思います。

「人に迷惑かけないようにしなくちゃ」というセリフを聞いたら、私は肩が凝りそうになるよん。
posted by 太田 at 23:49| Comment(4) | TrackBack(0) | 心理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月23日

「私も!」

久しぶりに鮮やかな夢を見ました。

遠くに海の見える平原。
周囲はなだらかな山にかこまれています。山というより丘陵か。

平原ですが、まるで街の中であるかのごとく、人々が行き交います。活気があります。

そのうち、とても色鮮やかな船(陸地だけどなぜか船!)が現れました。
船には5〜6人が乗っていて、踊っています。
ディズニーランドのパレードのような感じ。

船は次々といくつも現れました。
船に乗っている人たちは、とても素敵で、楽しそうに見えました。

私も乗りたい!

そう思って、一度ためらったものの、思い切って
「私も乗せて!」
と叫びました。

そしたら船の端っこに乗ってた人が、手を差し伸べてくれた。
そして私も船に乗ることができたんです。

乗ってみれば、尊敬している旧友もそこにいて、美しい景色の中、いろいろと話をしながら、みんなと踊りました。

そんな夢。

夢から覚めてもずいぶん長いこと、そのすてきな気分が続きました。



素敵な人たちを見て、自分もそうなりたいと思うことがある。
でもとてもなれないだろうなと弱気になったり、どうやったら同じ場所に立てるんだろうとあれこれ考えるくせに身動き取れなかったりすることがある。

そんなときは、「私も!」と声を上げるだけでいいんだな、と思った夢でした。
posted by 太田 at 19:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 心理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月22日

自分整理シート

自分のことを整理するためのシートを作ってみました。
自分が変化しようとしている時期などによいのではと思います。

下記のリンクを右クリック(macはcontrol+クリック)して、「リンク先のファイルをダウンロード(保存、かも)」のような項目を選ぶとダウンロードできます。

hhttp://homepage.mac.com/meguminomori/jibunsheet.pdf

1ページ目に説明が書いてあります。
2ページ目と3ページ目を印刷して、2ページ目の項目を埋めながら、同時に3ページ目をどんどん書いていきます。

何か新しいことが発見できる・・・かもしれません。
わたしは発見しました。

もし大発見があったなら、感想などいただけると嬉しいです。
 
posted by 太田 at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 心理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月26日

新しい問題解決

世の中に、何かの問題を抱えて困っている人というのは変わらずいっぱいいるわけです。
私も過去はたくさんの大きな問題を抱えていたわけですし。

それらに対して、問題に取り組み、解決する、という姿勢をとってきたのがこれまででした。

しかし、このごろは、問題には目を向けないようにしています。

直視しないとか、現実を見ないとか、そういうニュアンスではありません。
自分および他人の問題解決に取り組むうち、結局、本人が本気で「もういいかげん絶対に解決しよう」と決心して問題におさらばし、そのまま絶対にその問題には戻らないという姿勢をつらぬくことがなければ、決して問題はなくならないし、問題が問題をよぶ悪循環スパイラルに入るし、そういうのを見ていると、問題に取り組むということ自体が今やもうポイントがずれた方法なのではないかと思い始めたわけです。

それで、このごろは、問題点ではなく、希望のある点に目を向けるようにしています。
たとえ1パーセントしかその明るい希望がなくても。

その1パーセント、明るい希望であるポイントがあるのはなぜか。
明るい状態でいられるのはどんなときか。
そういうことに注目していきます。

そのうち、明るい部分が、1パーセントから2パーセント、2パーセントから4パーセント、と、少しずつ増えていきます。

増え始めたら、初めは少しずつしか増えなくても、だんだん増え方に加速がついてきます。
そして、やがて80パーセントくらいになれば、かなりのものです。
問題は自然に小さくなります。そのうち消滅するでしょう。



「こうしたいな、と思うことがあるんだけれど、引け目や自信のなさを感じて、それを実行するにはいたっていない」という状況、ありますよね。
そういうのを見ると、すごくもったいないなあ、と思います。
その中途半端な思いは、間接的に、その人にとって問題となることを大きくしたり、増やしたりするのです!
そして、エネルギーをひどく消耗させられるのです。

口のわるい言い方をすれば、「実行するのをためらっているくせにあきらめてもいない願望は、粗大ゴミ」

いや、腐敗して悪臭を放つ生ゴミかな?
それも、蓋付きポリバケツに入っていて本人は気づかないってやつ。

なのでそんなふうに中途半端に思うことがあれば、さっさと実現するか、そんなこと思ったこともないというくらいにきっぱりとあきらめて忘れてしまったほうがいいです。ほんと。
 
posted by 太田 at 03:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 心理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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