2012年07月28日

旅のおもしろさ

昨日、旅をテーマとしたお茶会をしたのですが、そのまとめです。


旅のおもしろさを決めるのは、行き先に興味があるかないかだけではないようです。


誰と行くか?どんな人と行くか? 
これすごく大切。
同行した人と行動パターンや考え方、訪れたいスポットの好みが合わないと、行きたかった土地に行ったとしてもぜんぜん面白くなくなっちゃいます。

無言でも信頼でき通じ合えるくらいにお互いの共通部分、共鳴部分が広い人と行くと、気が楽です。
特に海外への旅は、長いフライトや入国手続きで疲れ、日本ではありえないほど神経を研ぎすます(=脳と五感がフル活性化!)ので、同行者に余計な気遣いしてられませんから・・。


どんなスケジュールにするか?
前もってきっちりと行く先々を決めておき、スケジュールに従って行動する旅もあれば、
前日や当日になって向かう先を決め、そこでの行動もいっさい白紙で、ものの流れで行動を決める、という旅もある。

どうしても短時間で見てきたいポイントが複数あるときは、スケジュール実行型にするけれど、
私自身は、あまりきっちり決めない旅のほうが好みです。
明日はどこに行く?ここにしようか?って感じで次の日の第1目的地と出発時間だけ決めて、
次の日にそこに向かって、
そこでの過ごし方は流れにまかせる。
そこがものすごく気に入って、長い時間いたいと思ったら、いるし、
もう暑いし早く涼しいところに行こう、とかいうことになれば、移動する。


拘束されるのがキライなので、
独身時代に初めて家族(両親と妹と私)でハワイに行った時、
パッケージツアーで行ったらなんだか学校の修学旅行みたいに感じて、
自由が少ない、次からはパッケージツアーはやめよう・・・と思いました。

結婚してからのハネムーンは、「マレーシアの人と結婚した、中学の同級生に会いに行こう」というものでした。
だって、どこの王子様と結婚したのかと思うような、衝撃的な、結婚しましたハガキが届いたんだもの。
これは見に行かずにはいられない、というノリで。

マレーシア行きの航空券を手配し、同級生に勧められた日本では無名のリゾート島のホテルだけ予約して、あとは、到着してから友人の案内にまかせた1週間。
夫にも私にも、流れに任せるしかない旅、というのがすっかり板についてしまいました。
同級生のおかげで、パッケージツアーではあり得ない場所に行けて、パッケージツアーでは体験し得ない体験ができたから。


思うに、スケジュール実行型の旅では、予定以外のことは良くも悪くもほとんど起きない。
予定したことだけを、予定通りにやる、ということに意識を向けているから。

流れに任せる旅では、想像してなかったことがいろいろと起こります。
そのとき起きたこと、思ったこと、感じたことに合わせて次の行動を決めることに意識が向いているから。

6年前の、パト◯ス・ジュ◯アンさん夫妻に出会った旅のことも、お茶会の途中で思い出したのですが、
私は彼がどんな人か全く知らなくて、やたら普通に接したせいで、インパクトがあったのか何だか、
帰国してから奥さんのほうとメールのやりとりを少ししたあげく、ご夫妻のおうちに遊びに行く機会をもてました。
料理をごちそうになった・・・あの素敵すぎるお家で。
今はフランスに住まわれていますが、奥さんと、一往復、手紙のやり取りをしました。
お手紙は大事に持っています。

起きてくる物事にオープンでいると、そんなふうに、旅がきっかけで、思わぬ展開があったり。

そこから日常に変化のスパイスがかけられたり。


長時間のフライトに耐えて、海外にわざわざ行こうと思うのは、
慣れ切った日常の外に出て、脳細胞・体細胞すべてが活性化されたモードになれる戦慄を味わうためであり、
いつも当たり前に思っている日本人の価値観や固定概念から離れ、まったく違った世界観にこれでもかというほど触れて、人間の自由度を味わうためだったりします。
海外の風景が見たいということだけじゃなくて。


なんて書きつつ、いつの間にか、日本にいても思考回路がかなり自由でいられるようになったので、
海外は、しばらく行かなくてもいいな・・・と思ったりしています。

と、その舌の根も乾かぬうちに、またどこかに行ってるかもしれませんが。
 

posted by 太田 at 00:29| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月21日

地球に適応するのが大変と感じる人たちへ

これからはぶっ飛び系の内容は減らしていこう・・・と思ったそばから、やっぱり、しかるべき人に届けておきたいメッセージが出てきて、今日の記事を書きます。
わたし全然違う、と思ったら、読み飛ばしてくださいね。
10人以上は、共鳴される方がいると確信して書きますが。


この社会で生きていくことに大変な困難を感じている人たち。
自分は弱いんじゃないか、変なんじゃないかと思っている人たち。

他の人たちは力強く生きているような気がするのに・・・・という思い。

よく分かります。

私もその思いにはとても、共感できます。

私もそうだったから。

運良く?それとも狙って?私はだいぶその困難さを克服して、だいぶ適応してきましたが、
それは私の選んだことであって、
べつに、困難は困難なままでもいいのかもしれません。

この地球には、ほんとうにさまざまなルーツを持った魂の人が、ごちゃまぜに存在しています。

ものすごく平和な世界のルーツを持つ人が、地球に飛び込んだら、
どうしてこんなひどい世界に来てしまったのかと後悔するかもしれない。

ものすごく進んだ文明のルーツを持つ人が、今の地球に飛び込んだら、
どうしてこんな遅れた世界に来てしまったのかと思うかもしれない。

ものすごく自由な世界のルーツを持つ人が、地球に飛び込んだら、
どうしてこんな束縛だらけの世界に来てしまったのかと嘆くかもしれない。

3次元世界に押し込められた体、さらに、争いごとも醜いこともたくさんある世界。
でも、そういう中に、真珠の粒のきらめきのような美しさも見つかる世界。

雑多な種族がひとつの星に、まったく同じような外観をまとって集っている場所。

そんな特殊な、ここでしか得られない体験のために、きっとここに生まれてきています。
この世界に違和感を感じる人ほど、あえて選んで、ここに生まれてきています。

うまく生きられなくても、ぜんぜん、気にすることはないです。
ここに生きて、この世界に立って、さまざまな人々に出会っていくだけで、大切なことは達成されます。
みんなと同じようにうまくやろうとしなくても、大丈夫。

そうしているうちに何か思いついたら、思い切ってどんどん行動に移してみちゃってください。
自分にも、周りの人にも、良いことが起きると思います。

そのうち自分のルーツがある世界(故郷)に帰還できる日は来ますから・・・それまでがとてつもなく長く感じられても、です。
帰還できた日には、地球でのすべての体験が、意味を輝きを持って、目の前に咲き誇ることでしょう。
 
 
posted by 太田 at 23:03| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月04日

勢いのあるところ

流れに乗ることについて、しばらく考えていました。
そもそも整体を開業したとき、どうして開業できたんだろう?と不思議に思いました。
みんなが賛成したわけでもないし、やり方が分かっていたわけでもない。むしろ手探りで、何も分からなかった。経営について教えてくれる人も、そういなかった。
資金が潤沢にあったわけでもなく、でも借り入れをしたわけでもないから、やってみてうまくいかなかったらゼロに戻る(経験という財産は残る)という状況でした。

でも、不安よりも、やってみようという気持ちのほうが強かったのです。
自分の中の流れが、どうしても、やってみるという方向に向かっていた。

最近「運を強くする方法」として、そのひとつに、「成長する場に自分を置く」と書いている人を見つけました。
成長する場。
エネルギーに満ちていて、躍動的な場。

私は整体を開業する1年前の2002年に、上海に行っていました。前職の出張で、です。
上海は、とてもエネルギーのある都市でした。
日本一の大都市、東京とは、その勢いにおいては、比べものになりませんでした。

地下鉄で携帯を片手に大きな声で会話する人々。携帯でなくても、みんなそもそも大きな声で勢いよく会話してたので、携帯電話の呼び出し音なんて気になりません。地下鉄のドアが閉まるときも、日本なら警報か?と思うような大きなブザーがなります。

雨がちょっと降り出したと思ったらすぐに、女の人が「傘はいりませんか?」と売りにくる。
(断ったらすぐ去りました)
なんと、たくましい。

歩行者スレスレをすごいスピードですり抜けて行く車。
そんな車ばかりの中、突っ込んで横断する歩行者たち。
高速道路まで横断してる人も!!!

上海で買い物をするときには、必ず値下げ交渉をすること、とガイドブックにありました。
大阪でさえ値下げ交渉なんてしたことないのに、なぜか、上海の雰囲気にのまれて、値下げのためのやり取りをしました。
日本語も英語も通じないので、筆談を使いつつ、日本語でまくしたて、威勢良く。
そんなのでも、一生懸命言えば、通じるんですねえ。
コミュニケーションってそもそもこういうものなんだな、と思ったので、それ以降、あまり英語の勉強に力を入れなくなったという後日談。

とにかくその時の上海には、日本ではありえないような勢いがあったのでした。
ニューヨークに行った時よりも、強烈な印象を受けました。

これは、日本は中国に抜かれるな・・・・
そう感じました。

案外、そのとき上海で全身に受けたエネルギーで開業まで突っ走れたのかも?などと、思い返したのでした。

次にエネルギーを受けに行くとしたら、シンガポールあたりもよさそうだ。
 
posted by 太田 at 00:23| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月02日

流れが変わる時

どうやら、7月から、流れが変化するようです。
そして、流れに乗る人、乗らない人、に分かれるという話でした。

その話を聞いたのが6月最後の日・・・。


以下、例え話。
ちょうど、私は、6月が残り3日という時に川を眺めていました。
私も乗ってよいというボートが通りかかりました。
それに乗るにはけっこうな決意が必要。
生活も変わるかもしれないし、多少のリスクもある。
けど、魅力的な仲間が乗ってるし、目的地に着くために特化して作られたボートだし、それに乗れば、いくつもの嵐に襲われようと、今のままではたどり着けない所にたどりつけるかもしれない....
というものでした。

乗るか乗らないか。
6月中に決めなければならない。

これまでの出来事の流れを考えてみた。
悪くはないどころか、めちゃくちゃ、つながってる。
苦しかったことすら、まるで、そのボートが来るための伏線のよう。

ボートに乗ってる人に、メールしてみた。
初めて出会った人だから、返事なんか来ないかも、来てもそっけないかも、と思った。
それが、めちゃくちゃ、いい返事だった。

物資を確かめてみた。
これが一番不安な要素。
だけど、これまでにこのように新しいボートに乗りこんだ時に持っていた物資の量よりも、よくよく考えたら、けっこう多い。

ボートを見ているうちに、だんだん、これがこれまでの収束点かのように思えてきた。
ひとつの時を終えて、これから、また始まる。
もう、欲のような期待はないんだけど、もっと大きな何かを熱くさせるものがある。

最後にオラクルカードを引いてみた(笑)
出てきたカードは、「Go Now ! 」
あらま。そんなピッタリなカードが出ていいものか?と思うほどビンゴ。


そして、私は、ボートに乗ったのでした。


ボートに乗ってみれば、同じように人生大転換の時期が7月1日であった人が、たくさんいることに気がつき。


めぐみの森のホームページで9年間使っていたサーバーが、6月末で停止になりました。
7月から、新しいホームページアドレスのみになりました。
http://meguminomori.org/
です。

それをきっかけに、7月から整体料金を改定しました。

そういえばこれらの「変更」も、7月1日が境目だった。


ついでに、メニューを整体とマインドブロック解除の2つ(プラス、森さんのヒューマンデザイン)に絞りました。
うっすらと頭に描いていたことを、ほかにもどんどん、実行しています。

カオスが晴れて、はっきりと新しい形が現れてきたかのようです。

私の脳の中まで、とてもすっきりしちゃいました。
何というか、無駄のない思考、無駄のない時間(私なりの感覚で)。
そんなの意識してもできなかったのに、不思議。
清々しい、7月の始まりです。
 


posted by 太田 at 18:18| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月27日

アボカド

今年の冬から施術室に置いているこの木。

120627.JPG

これはアボカドです。
ふつうにジャスコなどに売っているアボカドを食べたあとの種を、庭にいくつか転がしておいたら芽が出たものの1つ。
芽が出て育っても、越冬できずに、いくつか枯れていきました。
2〜3年にわたるその学習を踏まえて、次こそは越冬させてみようと、冬がくる前に鉢に移して室内に入れてみました。

そしたらもちろん冬を越しましたし、どんどん成長しています。
下の方の葉っぱは小さくて、上の方の葉っぱはずいぶん大きいの、分かります?
写真のアングルでの遠近の違いではなくて、実際に2倍くらい葉の大きさが違うんです。
下の方の小さな葉が、屋外に植えていた頃に出たもの。
上の方の大きな葉が、室内に入れてから出てきたものです。
アボカド君は、暖かいのがどれだけ嬉しいんだか(笑)

いつか実がなるんでしょうか?
成長が楽しみです。
 
posted by 太田 at 17:58| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月23日

対応

「この人は厄介だ、と思ってしまうような人とトラブルになったとき、どうします?」
と、聞かれた。

誠意を持って対応します。
相手を責めないように、自分のことも必要以上に責めさせないように。
相手の土俵に引き込まれないように、こちらの土俵にも引き込まないように。


その場が収まるだけでなく、相手も同じ一人の人間、としみじみ分かる時が来ます。
それまでに1年以上かかることもあるのが厄介ですが。

もっとも、相手は、トラブルだという認識すらしてないことも多いようです。
ということは、自分も、別の誰かに「厄介な人とトラブってしまった」と思われているのに、気づいていないことも、あるかもしれません。

お互い様か。
posted by 太田 at 01:20| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月24日

戦いとは己との真剣勝負

先日、アリオン・メッセージという、1996年に発行された本を読んでいました。「アリオン」という名前は、Angel of Regional Intermediate Organization National の頭文字だそうで洋風なんですが、日本人によって90年あたりからチャネルされた、日本人向けの内容で、不思議で興味深い本でした。

日本人の書いた本は、とにかく読みやすいのが嬉しいです。

始めの章では、古代(スサノオとかアマテラスとか)の時代に日本にかけられた封印の話があります。この封印はずっと日本を覆ってきましたが、今、解かれゆく時なんだそうです。
そんなこともあるかもな、と、いろいろ想像しながら読みました。封印によって日本人が本当の力を発揮できていないとしたら・・・?

あとは広範囲にわたってメッセージが記載されています。


知識の偏重に対しては、

「『身体』を『頭』の奴隷にしないこと」

「知識は両刃の剣だ。使いこなせない知識は害になる。使いこなせた時に知識はその人特有の「知恵」となり、その人を助けるだろう。知識は多ければいいというものでは無い。それを使いこなすだけの勇気と努力と根気と、それを取り入れるときの直感力が必要だ」



1人1人が主権を持つことに関しても、

「ある主君の下への参加ではなく、一人一人が主君となって欲しい。そうして、これ以上の「悪業」を増やさないようにして貰いたい」

等の記載があります。


特に印象に残ったのが「戦い」に関する記述。

「戦いも勝負ごとも、集約すれば『己との真剣勝負・己との戦い』」

「つまり、自分の人生の中で見極めたいもの、探したいもの、知りたいもの、それらを叶えるための『人生』そのものが、私の言う『戦い』なのだ」

「不合理な攻撃を受け、自らの(時には他者の)可能性を守らねばならない状況に陥ったなら、戦いなさい。
ここで忘れてはならないことは、戦うと決めたときから、
戦いは勝つためのものになるのであって、
錦の御旗(自己正当化のための美しい理由)のためではなくなるということだ。
戦う以上は、勝つまで戦いなさい。
たとえ、命を落としても逃げないで戦い続けること。
戦いで命を落とすのは負けることでは無い」

「最大の防御は攻撃にある。
しかして、単純に相手を打ちのめしたりすることを攻撃と思ってもらっては困る。
自らが能動的に、快く動く環境が必要だ。
自らが発することだ。
愛するとは、そういうことだ。

相手を愛するが故に攻撃しなければならない、しかも心から。
あなたは、あなたの構築した世界で命を引き換えに、これを学ばねばならない。

真の愛とは?
真の戦いとは?」



私自身は争いごとは嫌だと思ってきたんですが、心のどこかに、燃え立つような戦士の側面があるのも事実。それは外にではなく、自分に対して向けるべきものなのですね。
また、「戦いで命を落とすのは負けることではない」
これは、過去生で戦いで命を落とした多くの人がいると思いますが(ブロック解除をしているとよく出てくるから)、とても救われる言葉です。


そして私自身が仕事=魂の決めた事、を果たしていく上でとても心に響いたこと。

「響き合う心と心が作り出す磁場には、精神的・肉体的な治癒効果があるのだよ」

時々、「芸術的な癒し」と言える時間があるとは思ってたんですが、私の感じていたそれは、施し手・受け手の両者の魂が深い部分で静かに共鳴する様子の美、といいますか、そのようなものであると再認識したのでした。
そういう時間は本当に、「この瞬間だけのために生まれてきたとしても価値がある」と思えたりします。


一度読んだらブックオフに持って行く本も多い中、この本は、少し前に発行された本にもかかわらず、何度も読み返す本になりそうです。
posted by 太田 at 13:52| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月15日

魂の羅針盤

時代はかつてないほど急速に移り変わっていて、それに対応するのに、ついていくのが難しくなるときが出てきます。
今までに経験したことがないほど、全面的に何かを変えなければいけないという状況です。

そういう状況であることに気づくのは「何をしてもうまくいかない」ことばかり続くときで、やったことがある方法を試しても、知ってることを試しても、どれもうまくいかず、根こそぎ変わるくらいのことをしないと立ち行かなくなるときです。

私は去年の秋から半年くらい、そういう、突破口の見えない状況が続きました。
似たような状況の人とメールを交わしながら、時がたつのを待ち、ようやく一番しんどい場所を抜けてリニューアルされ始めた感が、お互いに出てきました。
今日はその体感について描いてみようと思います。
ぜんぶ、私の主観だということをおことわりしておきます。用語も、あまり深く考えずに選んでいます。


自分の選択で生きていくためには、自分の羅針盤とモーターが必要です。

羅針盤は、何をしたいか、どこへ行きたいかなどを決めます。
それも、魂の羅針盤と、現世に対応するための羅針盤とがあります。

モーターは、羅針盤の指した方向に進むための動力となるものです。
エネルギーを供給してくる部分(電池につなぐ導線)と、エネルギーを自分の中で回転させる部分(モーターの回る部分)があります。

図解(?)すると
 魂の羅針盤
 現世に対応するための羅針盤
 モーターの回転部分
 モーターのエネルギー供給部分
(下から、第1チャクラ〜第7チャクラ的な位置づけかも)


何をしたいのかは分かるんだけど元気が出ないなら、モーター部分を何とかすればいい。体をメンテナンスするのもいいし、エネルギーを得られるところに出かけたり、エネルギーが得られることをすればいい。

ところが、何をしたいのか分からない、どうしていいのか分からない、ということが、このごろは多々あるのだと思います。
今までは分かっていたはずなのに見失ってしまった、とか。
今まで意義を感じていたことが、空っぽに思えてきてしまった、とか。
それは、羅針盤がうまく働かなくなったから。または古くなってしまったから。時代の流れが羅針盤のリニューアルを迫っているんです。


これまでは、羅針盤のほうは、リニューアルする必要はあまりなかったんです。
魂の羅針盤は無視しても何とかなりましたし、現世に対応する羅針盤は、年を取り経験を積むごとに磨かれていくままでよかった。

しかし、もう、魂の羅針盤が黙っていません。
いくら現世でうまくやっているように見えても、魂の方向性とちがっていたらストップがかかり、魂の羅針盤と連動するように現世羅針盤がリニューアルを迫られるし、
現世的にぜんぜんうまくいっていないと思っていても、魂の羅針盤と連動させるという条件のもと、現世の羅針盤を磨かなければいけない。

羅針盤のほうが機能不全だと、いくらモーターにパワーがあっても、動けないので、動けないでいるうちに、2つ前の記事で書いたように、エネルギーが停滞して、体も心も元気がどんどんなくなってしまいます。
エネルギーが低下してるというのに、どうしていいか分からない。
だから動けない。そしてエネルギーはますます低下。そういう下降スパイラルです。

そんなときに、上昇しようとして、何かキラキラしてるように見えることに接してエネルギーをチャージしようとしても、あまりうまくいかなくて、よけいに疲れることがあります。
魂の羅針盤に沿っていないということです。

そういうときは、エネルギーをプラスするのではなく、
羅針盤リニューアルのため、休養(ニュートラル)モードに入ったり、
現世の羅針盤に従っているうちにくっつけた余分な思考を外してニュートラルを深めることに専念するほうがうまくいくようです。

その「余分な」ものとは、
1.自分が素敵だと思うものとか憧れるものとか、好きなもの、逆に嫌いなもの、それらの価値観。自分がこうでなければならないとか、人はこうでなければならないとかの判断も。
2.自分はこういうことをするのは嫌だとか、人がこういうふうなのは嫌だという抵抗感、負けてはいられないとかのプライドや対抗意識、自分にはできないなどの劣等感。
3.自分だけこんな目に合ってない?とか、もっと〜〜だったらよかったのに、という被害者意識。
4.あらゆる不安、恐怖。

・・・そう、多岐にわたるのです。
そんなに簡単に外せないよ!とか、捨てなくないよ!と思うものもあるけれど、それすら「抵抗」となってしまいます。

また、完全に捨てたかどうかを気にするより、捨てるべきものを1つ1つ自覚したということが、意味あることです。

そして、自分が持っていた夢や願いや望みすら、なかったことにします。
今の時点で叶っていないことは、今まで叶わなくても死ぬほどのことはなかったから、叶わなかった(叶えなかった)のです。
願いを捨てても死ぬことはありません。

それらは、一度まっさらにした後から自然に現実化することもありますが、現実化を期待して捨てても現実化しないというジレンマ。
未練タラタラなのもやめて、とにかくあきらめます。
執着を捨てるというか。

ただ、本当にこれらを捨てる作業が必要なのは、それをしない限り何をしても全然うまくいかなくなる、という時です。
だからもし今がうまくいっていると感じるならば、その流れに乗るべきであって、捨てまくる時期ではないのでしょう。

これらの余分なものは、生まれてから「学習」したことであり、学習したことを外していくことでしか、魂の羅針盤が指すものはなかなか見えてこなかったりします。
(不安や恐怖も学習の結果として出てくるものと言えます。過去生での学習のこともありますけど)
自ら進んで学習したわけではないにしろ、周囲に対応または反応していくうちに、考え方や価値観や、対処法、それに伴う感情が、刻まれていくからですね。

こうありたいと思ったこともナシにして、
自分はこうであるという定義もナシにして、
何も決めない。白紙にする。
自分に対しても、他者に対しても。

そうして見えてきた魂の羅針盤が指すものは、今の社会の価値観でキラキラしているものではないかもしれません。
ものすごく地味で、何とも評価されないものかもしれません。
そうだと分かったら、がっかりしたり、抵抗したりするかもしれません。
でも、いいんです。
この社会でどう位置づけられようと、自分がやり抜くべきテーマを、この生涯のうちにやり抜くことは、全宇宙の中では、ひときわ輝くことです。

このプロセスに孤独や無力感を感じることも多いかもしれないけれど、世界の、または宇宙のどこかに、同じテーマを同じように生きている人が、何人もいるかもしれません。
時や場所が遠く離れていても、同じことをしている人たちがいて、魂レベルではつねに、共にいるのかもしれません。

(ブロック解除中に見るイメージに、地球でないどこかの惑星のシーンが出てくることがあるので、このごろ、真剣に宇宙について想像をめぐらしてます^^)


時間がいくらかかかるかもしれませんが、現世の羅針盤がリニューアルされ始めると、モーターも少しずつ回り出します。
どこに行けばいいか、何をしたいのかもおぼろげながら見えてきますし、一番大変だったときよりは軽くなって、動けるような感覚も出てきます。

大変な時期には、世界の回転数に自分の回転数が負けてるような、つまり、少しのことにやたら時間がかかったり、1日が何もしないうちに終わってしまうような感じがあります。
しかし、自分のモーターが回り始めると、自然に世界の回転数に自分の回転数が合ってきて、または上回るようになってきて、同じように行動しているつもりでも、時間が余るようになったりします。

そうなると余裕ができるので、物事が簡単になり始めます。

だけど、楽になるために何かをする、のではないんですね。この時代に求められていることは。
「ワクワク」に従うとよい、とよく言われるけれど、古い現世羅針盤のワクワクに従ってもうまくいかなくて、魂の羅針盤のワクワクに従わなければいけない。それがつまり、宇宙に完全にゆだねるというのと同じことだったりします。そのために、天地がひっくり返りそうに感じるほど自分を変えなければいけないことがあります。


リニューアルの兆しを感じても、ニュートラルな状態を保ち続ける、いや、さらにいろんなことを外して、より純度の高いニュートラルにしていく。
増築改築じゃなくて、一度ぜんぶ解体して、もういちど建てる。
まるきり新しいものを生み出すために、今までのものを崩壊させる。
2012年は、徹底したその作業が、宇宙のリズムから求められているような気がしてなりません。
 
posted by 太田 at 23:39| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月11日

動き続ける

このまえのマインドブロック解除お茶会の中で、「魔に魅入られないためには動き続けること」というキーワードが出てきました。

おもしろいことに、「動く」という肉多労働系のイメージが、共通して、家にこもりがちな人の潜在意識から出てきます。
そして、それを告げると、たいてい、面倒そうな顔をされます(笑)4〜5例ありました。
顕在意識ではイヤがってるんですが、潜在意識は、体を動かすことが自分に良いということを知っているのですね。

「動かない」というのは、頭の中だけはグルグル回っていたとしても、体を動かしていないとか、目の前に何かのよい機会が来ているのに食らいつかないとか、今必要なことがあるのに取りかからないとか。

この冬は寒すぎて私もあまり動きませんでしたが、そうしたらやっぱり、状態はイマイチになり、イマイチだからいっそう動きたくなくなるの悪循環。

しかし長い冬も終わり、外は春になり、内側も春になってきたので(この歩みについてはまた次回)、動くことを大切にしていこうと思います。


ちょうど、テリーさんのイベントで、京都の鞍馬山にみんなで行こうという話も出たことですし、それからまた、福井のワイナリーに行こうという話も出ましたし。
まず近場で動くことで、勢いや体力をつけつつ、ゆくゆくは、テリーさんの住むハワイへ・・・というビジョンも。

(めぐみの森からは3人がテリーさんの住むマウイ島にすでに行っています。
そしてこの夏にお1人行かれます。
来年か再来年の冬あたり、マウイ島ツアーができたらいいですね。
私もリュウが小学校に上がる前にもういちど海外に連れ出したいと思っています)


動き続けるというのは、エネルギーを循環させ続ける、滞らせない、ということだと思います。
 
posted by 太田 at 11:37| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月05日

強烈な変化

4月になってもう5日が経ちますが、なかなかまだ、あまり春らしくありませんね。
寒くて長い冬でした。

そんな冬の間、気分的には、冬眠モードで内側にこもっておりました。
春になったら冬眠モード終了、と思っていたのですが、まだ冬みたいな天気なので、なかなか冬眠から冷めません(笑)

重い腰を引きずるかのようにして大雪の季節にマインドブロック解除の講習を受けてきたのは、春になったらいっぱいブロック解除をやろう、そのためには冬のうちに習っておかなくちゃ、と思ったからでした。
もっとも、すでにたくさんの人のブロックを解除することができ、古い殻を脱ぎ捨てるかのように変わっていかれる様子もいろいろ拝見することができて、そのことだけは、春爛漫ですかわいい


そんな冬の間にも、ほのかな明かりがぽつぽつ灯るかのように、大きな意味を持つ出来事がいくつかあって、それらを通してあれこれと思いをめぐらしていました。

あれほどいろいろ言われていた2012年になり、明らかに、時代のエネルギーが急激に変わってきています。
ちなみにわたしが時代のエネルギーと呼んできたものは、どうも、人々のエネルギーというより、宇宙や地球からくる大きなリズムの周期のようなもののようです。
つまり、人がどう意図しようと、人を生かしている源である宇宙や地球のエネルギー変化には、逆らえないわけです。

何でも便利になってきて、経済やテクノロジーが発達して(アナスタシアに出てくる異星人の話からすると、地球のテクノロジーはまったくもって未熟なものらしいですが)、欧米発の考え方が世界を席巻する世の中になりました。
10〜20年前ごろから少しずつそれらが行き過ぎたり破綻することが出てきました。
そしてその動きはもっと加速しそうな気配です。
地球のエネルギーが、東洋的なものや、古代からの智慧などをサポートする方向に働いているようです。今までは、対比による発展(優劣をはっきりさせるからこそ、優れているものはさらに優れる方向に進んでいけるという力の働き方)だったのですが、これからは、調和による発展、というか、発展という言葉そのものがそぐわないかもしれませんが、調和や女性性の時代になるようです。

しかし、調和や女性性という言葉に対して私たちが抱くイメージがすでに、これからの時代にとっては偏狭なもののようです。
つまり、今までの時代にどっぷり浸かってきた私たちには、もはや、イメージさえできない。
でも、たぶん、歴史として記録されている以外の文化や時代の記憶が、私たちの奥深くに眠っていて、それを呼び覚ますというだけのこと。

若い人の中には、また、今生まれてきているたくさんの子供たちは、とても新しい要素を持っています。
これからの時代のことがすでにインプットされていて、それでいて、従来の世界のイメージはまだ植え付けられていない。

私たちがたとえば「これからはお金の時代じゃないよ」と言ったとする。
その中には、お金に苦労した記憶や、お金を持っている人を羨望した記憶、お金を持っていて嬉しかった記憶や浪費した記憶など、いろんな感情がまだホカホカと残っていて、そのエネルギーが言葉に含まれます。
しかし、新しい子たちが「これからはお金の時代じゃない」と言ったとしたらその言葉には、対抗や抵抗、妙に力の入ったようなエネルギー、はまったく含まれないのです。

私たちには、たとえば、お金がなかったり、経済が回らなくなったりしたときの世界の姿をイメージするのはとても難しいです。
でも、新しい子たちには、きっと、お金や経済に今ほどの重きを置かないのに、幸福感や、調和に満ちて生きられる、社会のあり方が見えています。

私たちがその新しい世界に飛び込まされるときは、きっと、抵抗や、恐れや、屈辱感みたいなものが強く出てきます。
今では価値が置かれていないものや状況、または、見下されてさえいるようなものに、飛び込まなければいけないかもしれません。
だけどそれは私たちの価値観の中での話であって、新しい世界では、それがちっともみじめなことではないのです。
それはたぶん、新しい子たちの目を見れば分かります。
お金はないかもしれない。今で言うところのいい生活はしてないかもしれない。でも、その目には迷いがなく、地球での命を生きる喜びや、曇りなく満たされた感情を発しています。
私たちはその輝きに導かれて、新しい世界へと舵を切るのでしょう。
(何年、何十年先のビジョンか、分かりませんが)


と、こんなことを、長い冬の間に考えていました。
惰性で旧来型の行動をすると、ビーッと警報がなるかのようにすぐ物事が行き詰まるし、意志とかが弱いのかと思って強引に押し進めようとするとさらにダメージを受けるしで、ずいぶん根本的に、やり方や世界観の転換を迫られているように感じました。それも、徹底的に。

そして、私って、ずいぶん古い人間なんだなあと。
他人のだけでなく、自分のブロックもいっぱい解除しました。自分でやるからささいな違和感も解除したりするので、解除したブロックのリストは60を越えています。まだまだ増えますね。
解除がなかったら、乗り切れずに今頃完全に引きこもっていたかもしれないくらいです(笑)
それくらい強烈な時期でした。いや今もです。

みなさんは、どんな冬を過ごされたでしょうか。
 

posted by 太田 at 14:27| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月28日

最近読んだ本2

ここのところ、自分に、大きなタイムスケールでの日本的なルーツがあるらしい、ということに思い当たり始め、では、日本を捉えなおしてみるか!と思って読んでみたのが、これらの本でした。
これからの時代について、経済以外の点から考えてみたいと思ったら、こんな内容の本になりました。

ガイアの法則[I] 日本中枢[135度文明]への超転換



ガイアの法則[II] 中枢日本人は[アメノウズメ]の体現者となる



久しぶりに、魂の深い部分が共鳴する思いがしました。頭の一部は、なんか、クラクラしていますが。

子供の頃に感じていたことや、印象に残っている絵やシーンや人物、なぜ日本が嫌いだと思っていたか、なのになぜ日本に生まれたかなど、いろんなことが、感覚的に理由が浮かび上がり、つながってきて。
アナスタシアがなぜ「プライドは致命的な罪だ」と言っていたかも、ようやく、なんとなく。


印象に残っているといえば、去年の終わりにプレイした、ゼルダの伝説スカイウォードソードの1シーン。
リンク(ゲームの主人公=プレイヤー)が弾く竪琴に合わせてファイ(守護精霊みたいな存在)が歌う、5つのシーン。



円周上に光の柱が1つ1つ立っていき、音楽が流れるんですが、そこに、ただ「すてきな場面♪」と思うだけではなく、何かもっと深遠な感覚を揺さぶられたのが、ものすごく不思議でした。
それが、ガイアの法則IIの方を読んでるうちに、ああこの感覚なのか、と、思い当たったりもし。


しがみつかなければいけないのかと思っていたことが、いい意味でどうでもよくなってくる。
不思議な感覚を呼び起こさせる本です。
 
posted by 太田 at 18:31| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月17日

最近読んだ本

「マスコミとお金は人の幸せをこうして食べている」


暴露本、陰謀論的な本の中でも、かなり淡々と、調査したことを述べている本で、好感が持てました。
3.11後の世界と自分たちの価値観を考える上で、参考になります。
 
posted by 太田 at 23:44| Comment(2) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月17日

自分に属さないもの

ちょっと分かりにくい文面ですみませんが、
このごろの、友人と私の発見です。

本当の自分のことは、どんなことでも、何の感傷もなく、ゼロの立ち位置で眺められる。
悲しみや怒り、強すぎる憧れや執着、感傷、そういう感情とともにしか眺められないものは、自分ではないものか、または、今はもう必要ない自分の側面。

という気がしています。

posted by 太田 at 23:05| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月12日

自分のルール

何だったか、心の動きに関してネット検索しつつ見ていたら、FXの投資のページがヒットしました。
そこに、おっ、と思うことが書いてあって、それは、思い出しながら書くとだいたいこんなことでした。

「相場は上がったり下がったりするのは当たり前。投資をしていて100%勝ち続ける方法はない。負けるときもあるけれど勝ちを多くして利益を積み重ねる方法はある。
しかし、たとえその方法を知っていたとしても、負けが続いたとき、人は、それ以上失うのが怖くなり、弱気になって、勝てる可能性があるのに投資を控えたりする。または、勝てる可能性がとても低いのにルールを破ってヤケクソな投資をしたりする。
利益を出していくには、結果にかかわらず、冷静にいつものルールで投資を続けることが大切である。
そして、勝ち負けで投資の成果を判断するのではなく、今日も自分がルールに従って投資ができたかどうかで判断する。」

また、利益を重ねるための自分のルールを確立していくことも大事だと書かれていました。
それは、人から教えてもらうこともあるだろうけれど、経験を重ねるうちに自分で体得していくものだと。


日々の生活にもまったく同じことが言えると思いました。
いいこともあれば、悪いこともある。
何かを得ることもあれば、失うこともある。
通常は、それらに一喜一憂して振り回されることが多い。

でも、何か自分の小さな成功や喜びのために、自分は日々こうするのだというルールを持ち、毎日を、いいことがあったか悪いことがあったかで判断するのではなく、今日も自分のルールに沿って過ごせたかを判断し、Yesならそれはよい日ではないか・・・という。

それならば自分次第で、どんなことがあっても毎日を「よい日」にすることも可能です。

今の私の日々のルールは、その日の事務仕事をためない(今年こそ^^;)とか、キッチンだけはすっきりと保つとか、小さなものでも何かクリエイトするとか(お菓子やパン、絵、ブログやホームページ、イベント的なことの企画、その他思いついたもの・・・)、テンションの上がることをするとか、子供と何かちょっとでも一緒に遊ぶとか、そういうことです。

でも、ルールを守るのに必死になるのはイヤなので、今、「守ったら楽しい」と思えることをルールにします。
事務仕事はためてやったほうが早い、と思うようになったらそうするし、
キッチンはときどききれいにすればいいや、と思ったらそうするし、
今は休養の時期だからヒマがあれば休む!と感じたらそうします。

なんて書くと、いつも思いつきだけみたいですが、まあ直感を一番大切にしているのでそうといえばそうなんですが、
いちおうこれらには長期的な目標や到達イメージがあって、それを達成するために守りたい「日々のルール」となっています。

投資にくらべたら、ずいぶんゆるいルールですね(笑)破ったって負けないし。
 
posted by 太田 at 17:24| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月06日

あけましておめでとうございます

2012年になりました。
年末年始は、いかがお過ごしでしたか?


年末には、娘の希望でミュージカルを観てきました。実家が愛知なので、娘と姪っ子と私、女3人で名古屋に行きました。
劇団四季の「ウィキッド」。「オズの魔法使い」のもうひとつの別の角度からのお話でした。

「オズの魔法使い」では最後ドロシーに水をかけられて消えてしまう西の魔女、が、不幸な生まれながらも魔法の才能にめぐまれ、その力をもってオズの悪事に抵抗して自分の信念をつらぬき通した女性だったんだよ、というお話。でも、親友のグリンダと、グリンダと三角関係になるフィエロだけが理解しており、世間の人からはオズの策略により一方的に最後まで魔女扱い。

みんなから悪者とされている人が、ほんとうはいちばんすごいのかもしれない、という。

そういえば、キリストを裏切ったとされ憎まれ続けてきたユダが、じつは弟子たちの中でいちばんキリストを理解していたので、いちばん大変な役目を引き受けて裏切り者の役を演じた、という説もありましたし。

そのミュージカルの余韻にひたりたかったのですが、劇場を出てiPhoneを見たら、あるグループで何年も暗雲が立ち込めていた状況に風穴を空けることができたかもしれないという知らせのメールが入ってそちらの活動に一気に引き込まれ、ミュージカルの余韻はものの3分で終了してしまったのでした。
姪っ子と娘は、地下鉄や電車の中で、ウィキッドの歌をずっと歌ってました。
その歌をBGMに、iPhoneでメールをひたすら打ち込んでいた私。


ほかにも本当にいろいろと、良くも悪くもどちらとも、動きのあった年末でした。
2012年の幕開けらしい、何だかいろいろ新展開しそうなプロローグ。

今年は(今年も?)、やることがいっぱいあります。

「練習あるのみ」という言葉がやたらと目に入る。
まずそこから始めよう。


今年もまた、いろいろな活動をシェアしていきましょうね!
posted by 太田 at 11:32| Comment(3) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月27日

ロールプレイングゲーム

今年はひょんなことから、十何年ぶりにゲームを楽しみました。

そのいきさつは、以前の記事に書いてあります。
http://meguminomori.seesaa.net/article/217226273.html


11月におもちゃ売り場をウロウロしていたら発見したのが、Wiiの新作ソフト、ゼルダの伝説スカイウォードソード。
何だか直感で、これは私にとって「買い」だと思ったんですよね。

23日に発売で、その日に買いました。
中古買取もしているお店で買ったら、「28日までは5300円で買取します」というクーポンがついてきました。
ゲーマーじゃないんだし、たった5日でクリアできるかよ。と思いつつ、できるだけ早くクリアしようと思ってました。やることいっぱいあるし。

だいたいWiiのリモコン操作にさえ慣れていないわたしが、そんなに早く進められるわけがなかった。
細い道など、しょっちゅう転落してしまう始末。
敵との戦う以前に、敵のところまで行くだけでタイヘン。

最初のボス戦では、wiiリモコンを真剣に振り回しすぎて、筋肉痛になりました。

毎日、クリアというゴールに向かって燃えました〜!
若返った気分です。

ハッピーな舞台はいいんですが、ダンジョンに入るとなかなか怖い。
すぐゲームオーバーになったり、謎解きに行き詰まったりテクニック的に進まなくなって、投げ出したくなる。
しかしやめてなるものか。絶対に年内にはクリアするんだから!!
精神力をものすごく鍛えられました。
息子はこれをスイスイやってのけちゃう。それも長時間集中できます。スゴイ。
(ちなみに息子が長時間集中するのはゲームだけではありません、お手伝いや勉強も長時間集中します、やる気に火がついたときなら。)

ほとんどの時間は、子供たちと一緒にワイワイとプレイしました。
一人がプレイして、一人は攻略サイトを調べ、一人はYouTubeのプレイ動画を探す、とか。
今は上手な人がYouTubeに動画をアップしているので、お手本プレイとしてイメージトレーニングしたりできます。

ゲームの上手な息子の力をだいぶ借りて、12月14日に無事、クリアしました!
(私がひとりでがんばったら1年かかったかも)
とてもおもしろいゲームでしたよ。
「女神の詩」という音楽がとても印象的で、この曲をいい音で聴くために、前から狙っていたテレビ用スピーカーを、今だ!と思って買ったほどでした。



たぶん私たちがこの世界で生きているのも、大きなロールプレイングゲームみたいなものなんだろうな、という思いがずっと離れませんでした。

地球という舞台にプレイしにいくぞ!と意気込んで、生まれる。
生まれながらに持っているアイテムやキャラクターは、どこに生まれるかで変わる。
そこから、いろいろな体験をして、山越え谷越え、ハッピーなこともあれば試練あり戦いあり、いろんなダンジョンを次々クリアして進んで行く。
どのダンジョンに進むかは自由に選べる。
途中でアイテムをゲットしたりお金をゲットしたり。
経験値はどんどん上がっていく。
少しずつ人間として強くなる。
やがてゲームオーバー。どんなラストが待っているのやら。感動のエンディングはあの世に行ってからのお楽しみか。



ゲームに燃えながら、仕事と家事しながら、12月11日の誘導瞑想を考えたり12月17日のセミナーの準備をしたりだったんですが、直感で始めたことは、すべて関わり合っているということに最終的に気がつきました。
すべてがお互いに、インスピレーションの種になっています。
ゲームをしなかったら誘導瞑想やセミナーは完成しなかったかもしれないし、
誘導瞑想やセミナーや仕事や家事がなければ、ゲームにこんなに燃えられなかったかもしれない。

やったほうがいいかどうかをあれこれ考えるのはやめて、これだと思ったことは楽しんで集中してどんどんやっていけばいいのだと思った、2011年でした。

ゲームの話題で2011年を終えるのもおもしろい。


今年もたいへんお世話になりました。
みなさん元気に、どうぞよいお年をお迎えください!
 
posted by 太田 at 20:52| Comment(2) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月20日

誕生と創造のワークショップ

11日に湯涌で石野さんとヤスノさんが主催されたのも、アートイベントであり、創造に関するワークショップでしたが、
17日に、こんどは私が東京で、誕生と創造のワークショップをしてきました。

簡単に言えば、バースセッションの周辺に関するセミナーです。
何回も顔を合わせたことのある仲間に対して、集まりついでに、イベント的に開催しました。

参加者11人のうち、子供をこれから生む可能性のありそうな人は2〜3人。(すぐにも子供が欲しくて生める状況の人ゼロ)
あとは、すでに子育て中・子育て終了でもう生まない人だったり独身だったり、そのうちオジサンも3人と、「出産」には遠そうな人たちがほとんどでした。

なぜ、出産しない人たちが参加されたのかというと、
ひとつには、このワークショップが「出産」という産む側からだけのものではなく、「誕生」つまり生まれる側、地球で生きている人すべてのことに関するものだったから。
もうひとつには「誕生」を広義で「創造」ととらえ、2012年に向けて、自分の活動において新たな創造をしていくためのジャンプ台にしようと思ってもらえたからです。


何を思って地球に生まれてきたか、どのようにして人が誕生するのか、などについていろいろと講義したあと、時間をゆっくりとって誘導瞑想をしました。
このまえヤスノさんのイベントで絵を描く前に行った誘導瞑想をアレンジした、解放と誕生と創造の誘導瞑想です。
(毎日瞑想している人も少なくないようなメンバーのなか、びっくりするほど好評でした♡)

それから、オジサンの発案で、みんなでそれぞれクレヨンや色鉛筆で画用紙に簡単な絵を描きました。
みんなスラスラとためらいなく描いていくことに驚き。


ワークショップ内容に対しては、「はっとさせられる事やへぇーと思う情報があった」「昔から疑問に思っていたことに答えが得られた」「いろいろなアイデアが出てくる有意義な時間を過ごせた」などなど、手応えばっちりの感想をいただきました^^


これは金沢でもぜひ開催してみよう、きっと有意義なことを伝えられる、と思いましたので、
来年のどこかで、創造と誕生のワークショップを開催することにします。

年が明けて心機一転の1月がいいと思ったのですが、思い当たる会場がどこも山の中で、雪の深そうなところばかり。
なので、気候が良くなり勢いもついてくる、5月にしようかと思います。

(または、雪の少ない、中心部や海の方で個室が借りられるような場所をどなたかご存知でしたら、教えていただけると嬉しいです)


東京ワークショップで描いたクレヨンの絵を、家でアクリル絵の具で描き直しました^^
111220.jpg
posted by 太田 at 17:44| Comment(2) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月24日

Old worldにさようなら 3.新世界

(11/24 パート2が非公開設定になっていたので解除しました)

このごろ、私はきっぱりと自分なりの新しい世界へ行こう、と思っています。
だからって生活や見かけがガラッと変わるとは限りませんけど。

新しい世界がどんなものかは、正直言って分かりません。
ただ、入り口に立っていて、何かワクワクするものが待っている気配があって、では私もここから先を冒険してみよう、と思っているだけです。

仲間もたくさんいる気がします。まだ見たこともないたくさんの人たちを含めて。

これからどうしたいかと言えば、喜びをうたうかのようにやっていきたいし、
問題点を掘り起こすのはやめて、新しい創造を続けていきたいのです。

個人セッションは、「創造」そのものである、現実の創造セッションとバースセッション以外は見直しをしようと思っています。

希望について語りたいし、創造について語りたい。
それを1つ1つ現実化していきたい。

嬉しいことや楽しいこと、喜びを感じたことについて語りたい。
人の喜びや楽しみに耳を傾けたい。

「問題から目を背ける」のとはちょっと違うのです。
創造というのはそういう図式ではない。
問題は取り組もうとしても問題のまま。
問題を認めつつも微笑んでいるとやがて問題が自己崩壊していきます。

このように文章として書こうと思えるほどに、新しい創造を始めようとしている人が私の周りで増えてきて、エネルギーがあらゆるところで渦巻いているので、
今、私は、感覚としてそれらを知っていて、必ずできると「信じて」います。
知っていたというのか思い出したというのか。情報のパケットが届いたというのか。よく分かりませんが何かが起こり始めています。
世界中の多くの人の上に。
 
posted by 太田 at 07:00| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月22日

Old worldにさようなら 2.何を信じるのか

(あれれ。iPhoneで編集したら、パート2だけ非公開になってました)

先週の土曜日、NHKの地球ドラマチックで「奇跡の生還に導く声〜”守護天使”の正体は?」というテーマが放送されていたので楽しく見ました。
始めに、911テロのとき、ワールドトレードセンターのビルで働いていた人が、最初の飛行機が追突したあとに非常階段に逃れたものの、下に行けば炎、上に行っても非常扉が閉ざされて出られない、という状況になり、ほかの人が階段で眠り始める(空気も薄くなるし、眠くなるらしいです)中、突然声がして「あなたを家に送り届ける」というその声のもと導かれ、炎の中をくぐり、最終的に一命をとりとめたという話がありました。
脳科学者さんたちはいろいろとこのようなケースを調査し、空間認識の変化だとか、いろいろと科学的に説明しようとするのですが、本人は「あれは神の導きだったと思っている」のです。

同様な体験で、「あれは亡くなった父だった」「あれは私の守護天使だった」「あれは私自身だった」といろいろなケースがあるらしいのですが、その「奇跡的な」感覚を体験した本人は、体験していない誰が何と言おうと、そう信じるのみです。
 奇跡の生還へ導く人 ジョン・ガイガー

人は何かが感覚としてはっきり感じられれば、それを信じます。
「それは脳の作り出す幻覚だよ」と言われたとしても、「幻覚なんてものじゃなかった」ときっぱり否定するでしょう。でも、それがどういう感覚か、他人にはどうしたって分からないので、「あいつ頭がおかしいんじゃないか?」と思われることもあるでしょう。

感覚として感じられることは、信じるしかありません。
世の中の99%の人が否定しても、肯定することしかできません。
それほど確かな感覚は一人一人に存在します。
そのように「個」というのは独特であり、重みのある存在です。

(周囲のたくさんの人が否定するから自分もそれを否定したほうがいいんじゃないか、という気持ちになることがあります。違う考えを持つことで、他の人が嫌な思いをするかな?とか、自分は嫌われるかな?とか、変に思われないかな?という迷いです。でもそれは、人のことを考えているように見えて、実際にはごく短期的な範囲の自分の安全性を考えているだけです。実際に、身内や友人と違う考えを貫いてみてください。もちろん、違う考えを表明するときに相手を攻撃しないこと。自分も相手も慣れない状況のために一時的にモヤモヤするかもしれませんが、最終的には双方にとって一番ハッピーな結果が展開していくはずです)


めぐみの森に来られる方が、ふつうの人はあまり考えないし言わないだろうことを話して「私って変ですよね?」とおっしゃることはよくあります。実際のところ、私のところにはそのような方がたくさん来られます。ありとあらゆる、自称「変な」人たちが。

それは私も「変」だからで、また、いろんなタイプの「変わった」人がいるのは良いことだ、と思っているからだと思います。

だから、どの人に対しても
「全然、変じゃないですよ。私はとても共感できます。でも、ほかの90%以上の人は、分かってくれないでしょうね」
ということになります。

人の生まれ持った性質はそれぞれなんだし、さらに、体験してきたバックグラウンドもさまざまなので、それぞれの考え方や感じ方があるほうがずっと自然だと思うし、逆に、ある考え方や感じ方に統一されるほうが無理があると思います。

さらに私は、人が生まれ変わると思ってる、というか、この人生1度きりしか存在しないとは思っていないから、今回の人生以外にもそれぞれの人が広大な宇宙のいろんな記憶を持ってるとすると、そりゃ、地球という1つの惑星の中の小さな日本の小さな一般常識におさまるわけがありません。

私が、人生は一度きりだと思ってないのは、ぼんやりとですが、この生涯以外にも記憶があるからです。
(やっぱり変人です。)

「輪廻転生なんて信じてるの?俺は信じないよ」という類のセリフ、耳にします。
それはイコール「輪廻転生は存在しない、と信じている」ということでもあります。
何かを信じる信じないではなく、何にしたって、何かを信じているわけです。
同じ穴のムジナです。
そして、人それぞれに対して、信じたとおりの現実が展開されていくわけです。

(これ私の観察の範囲内ではホント。たとえば、男性も家事をやるのが自然で当然よね、と思ってる女性は、家事をフツーにやる男性と出会って結婚する。そんな男性はほぼいないとか、家事をやってもらったら申し訳ないと思ってると出会わない。そしてたぶん、人生は一度きりと信じると、死後は永遠に眠る)

つまり、自分の信じていることを変えると、自分が変わります。
信じるものを新しいものに取り替えると、自分も新しくなれます。

あなたは何を信じているから、今のあなたなのでしょう?
もし、そのあなた自身を好きになれないとしたら、何を信じているからなのでしょう?

パート3に続く。
posted by 太田 at 17:46| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Old worldにさようなら 1.義務か自由意志か

3回のシリーズで書きます。久しぶりに読み物的なものを。
もう予約投稿したので、3日連続でアップされます。


日本人の傾向として「〜〜しなければならない」という義務感から行動することが多いです。
自分にとっての義務感を果たすことが喜び、である場合も多々あるとは思いますし、それはすばらしい行動だと思います。

しかし。
価値観や行動様式も多様になってきた今、社会や他人から要求されるものというのは必ずしも一律ではありません。
地域差や世代差、職業分野の差など、いろいろな部分で「常識」なるものも変わってくるのに、いろんな種類の人が複雑に行き来している今だから、あちらを立てたらこちらが立ち行かなくなる、という現象がいくつも起きます。

だから、外から要求されることに従うことが義務だと考えていると、自分自身は混乱するし、しんどいし、崩壊していくことでしょう。
そうなると、せっかくの美徳的な日本人の義務意識だったものが、個々を襲う魔物と変化します。

義務感が強すぎてしまったとき、このごろ分かってきたのですが、仕事や道徳的なことだけでなく、趣味や遊びの部分でも、義務から行動するようになります。
趣味や遊びにも「〜〜しなければならない」という思いで臨むのです。
果たして楽しいのでしょうか。どうも、予想通り、当人たちはあまり楽しめないようです。

そして、心から楽しむことがなかなかできないから、楽しんでいる人を見ると冷ややかな視線を送ったり、冷めた気持ちになったりします。
昔、私にもそういうことが多々あったのです。
しかしそれは「意識の純粋性」を貶める行為だったと今では思います。

本来なら「〜〜したい」という自由意志から趣味や遊びは始まりますし、いや、仕事だって本当のところはそうでなければ続かないし、打ち込むことができません。

では「〜〜したい」と思えることを探せば良い、ということになると思うのですが、義務感が強すぎると、それが非常に困難になります。思考のすべてに「〜〜しなければならない」がつくのです。つまり、「〜〜したいと思えることを探さなければならない」という思考になるのです。

このような場合、どうしたらいいのか。

・・・

・・・

・・・仮に何か、「◯◯したらいいよ!」とアドバイスしたところで、「◯◯しなければならない」という思考になるのは目に見えてますから、放置することでしょうか?

1秒1秒すべての挙動にたいして「〜〜しなければ!」と言い続けてがんじがらめになってノイローゼになるくらいやれば、いい加減「〜〜せねば」の思考がイヤになるかもしれません。あるいは快感になるかもしれませんがそれはそれでハッピーですね。

本当は、手段は考えなくていいんです。
結果だけをイメージすれば、手段は「気がついたら目の前にあった」とか「不意打ちのように飛び込んできた」とか「気がついたらもうやってた」ということになるんです。
それは人によってはすぐかもしれないし、数年後、何十年後かもしれません。そんなふうに不確実だから誰もあまりやりたがりませんが、まったく疲れないしゴリゴリと努力することすら必要ない方法です。


世界は義務を果たすことでできているという、信念体系。
過去の私も信じていたことです。

信じることについて、パート2に続く。
posted by 太田 at 17:43| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。