2011年11月22日

Old worldにさようなら 1.義務か自由意志か

3回のシリーズで書きます。久しぶりに読み物的なものを。
もう予約投稿したので、3日連続でアップされます。


日本人の傾向として「〜〜しなければならない」という義務感から行動することが多いです。
自分にとっての義務感を果たすことが喜び、である場合も多々あるとは思いますし、それはすばらしい行動だと思います。

しかし。
価値観や行動様式も多様になってきた今、社会や他人から要求されるものというのは必ずしも一律ではありません。
地域差や世代差、職業分野の差など、いろいろな部分で「常識」なるものも変わってくるのに、いろんな種類の人が複雑に行き来している今だから、あちらを立てたらこちらが立ち行かなくなる、という現象がいくつも起きます。

だから、外から要求されることに従うことが義務だと考えていると、自分自身は混乱するし、しんどいし、崩壊していくことでしょう。
そうなると、せっかくの美徳的な日本人の義務意識だったものが、個々を襲う魔物と変化します。

義務感が強すぎてしまったとき、このごろ分かってきたのですが、仕事や道徳的なことだけでなく、趣味や遊びの部分でも、義務から行動するようになります。
趣味や遊びにも「〜〜しなければならない」という思いで臨むのです。
果たして楽しいのでしょうか。どうも、予想通り、当人たちはあまり楽しめないようです。

そして、心から楽しむことがなかなかできないから、楽しんでいる人を見ると冷ややかな視線を送ったり、冷めた気持ちになったりします。
昔、私にもそういうことが多々あったのです。
しかしそれは「意識の純粋性」を貶める行為だったと今では思います。

本来なら「〜〜したい」という自由意志から趣味や遊びは始まりますし、いや、仕事だって本当のところはそうでなければ続かないし、打ち込むことができません。

では「〜〜したい」と思えることを探せば良い、ということになると思うのですが、義務感が強すぎると、それが非常に困難になります。思考のすべてに「〜〜しなければならない」がつくのです。つまり、「〜〜したいと思えることを探さなければならない」という思考になるのです。

このような場合、どうしたらいいのか。

・・・

・・・

・・・仮に何か、「◯◯したらいいよ!」とアドバイスしたところで、「◯◯しなければならない」という思考になるのは目に見えてますから、放置することでしょうか?

1秒1秒すべての挙動にたいして「〜〜しなければ!」と言い続けてがんじがらめになってノイローゼになるくらいやれば、いい加減「〜〜せねば」の思考がイヤになるかもしれません。あるいは快感になるかもしれませんがそれはそれでハッピーですね。

本当は、手段は考えなくていいんです。
結果だけをイメージすれば、手段は「気がついたら目の前にあった」とか「不意打ちのように飛び込んできた」とか「気がついたらもうやってた」ということになるんです。
それは人によってはすぐかもしれないし、数年後、何十年後かもしれません。そんなふうに不確実だから誰もあまりやりたがりませんが、まったく疲れないしゴリゴリと努力することすら必要ない方法です。


世界は義務を果たすことでできているという、信念体系。
過去の私も信じていたことです。

信じることについて、パート2に続く。
posted by 太田 at 17:43| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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